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千人の一歩が意味するもの

どこに向かうかみんなわかってるよね
みんなで泳げば誰も迷子にならないし
迷いがなければ早く確実に着く
どこに向かうかでケンカすることもないよね
#ジブリで学ぶ自治体財政

先日から長々と続く枠配分予算の話は,結局「組織の自律経営」がなぜ必要かという論点に帰着します。
なぜ財政課が中心となって中央集権的に大鉈を振るう「一件査定」よりも現場に裁量,権限を委ね,それぞれの組織で与えられた権限の中で自らを律する「枠配分予算」のほうが優れていると私が主張しているのか。
それには二つの大きな理由があります。

まず,わかりやすいのは組織運営の効率化という観点です。
福岡市の規模でいえば財政課長一人で3000事業の内容と優先順位を決め,9000人の職員がそれに従うのと,9000人の職員がそれぞれの持ち場で自分の与えられた裁量の範囲で最大のパフォーマンスを発揮するとのどちらが市民を喜ばせることができるか。
私は,市民の満足度を高めることについて,財政課長が現場の職員に敵うはずがないと考え,枠配分予算の対象事業を大幅に拡大し,財政課の査定していた権限と裁量を現場に委ねました。
現場のニーズや課題を知り尽くし,マンパワー,誠意,笑顔,人間関係など,お金以外の解決策,市民満足向上のための技を持った現場に,財政課が敵うはずがないと考えたからです。

個別の事業内容については財政課が査定するよりも,たとえ十分に予算が計上されなくても事業に精通した現場のほうが与えられた裁量の範囲でより効果的な事業実施に取り組むことができるのではないか。
裁量を与えたほうが現場での創意工夫が進み,モチベーションも維持でき,市民への説得力も増すのではないか。
現場に任せると何をしでかすかわからないという不信も,経験を積ませ,財政課やその経験を持った者がサポートすることで払しょくできるのではないか。
さらには,現場に裁量を委ねることで予算編成時に内部の事務作業で費やされる時間と労力が削減でき,働き方改革にも資するのではないか。
そうやって,現場でできることを現場に委ねることで,本当に大事なこと,予算編成において議論すべきことに時間と労力を割くことができ,よりよい政策判断ができると私は思うのです。

一方,組織の自律経営がなぜ必要か,という命題は,市民と行政の関わりから全く別のアプローチをとることもできます。
以前の投稿で,コロナ禍の渦中で行われた首長選挙で荒唐無稽な公約を掲げた候補が当選してしまうという由々しき事態に警鐘を鳴らしたことがありました。
多くの市民は,行政の実情を知りません。
しかし,行政運営への無理解を放置することが市民と行政の間に溝を作り,いたずらな誤解を生み,課題解決を複雑にさせていること,いざというときに市民にきちんと判断してもらえる素地を作ることができていないことが今回の事案のような大きなリスクとなりうることを,我々行政に携わる者は反省し,反面教師にしなければいけません。

市民の「行政運営に関する基礎的な理解不足」は自治体運営上の大きなリスク要因ですが,このリスクの影響を自治体の中で一番受けるのは誰かと言えば,財政課を中心とした自治体経営の中枢を担う官房部門です。
従って,官房部門はこの問題に真正面から向き合い,市民の行政運営に関する基礎的な理解不足解消のため,自治体運営に係る情報発信や共有,相互の意見交換を通じて,市民との意思疎通に務め,市民の「行政運営リテラシー」即ち「行政運営について正しく読み解き,理解する力」の向上を図る必要があります。
しかし,各施策事業を担当する現場の職員が「首長が予算をつけてくれないからこの事業ができない」と市民や議会の前で予算編成の最終責任者である首長に弓を引くようなことをした場合どうなるでしょうか。
政策選択においては自治体として多様な背景を考慮し苦渋の選択をしていますが,現場として納得いかない部分だけを市民に示すのは現場の不満が市民に伝播し市民の納得や共感を得ることから遠ざかってしまいます。

選挙で選ばれた市長も、それを選んだ市民も、公務職場で仕事をしている我々公務員と同等に自治体財政の知識を持ち合わせているわけではありません。
今回、コロナ禍で行われた首長選挙で起こったことを憂慮するのであれば、まずは自治体運営の「中の人」としてそのイロハを理解しているはずの職員自らが、自治体運営のプロとして自分たちの自治体の財政について、あるいは政策について、市民がわかる言葉で語ることができるようになることが必要なのです。

私は,拙著『「対話」が変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』で次のように書いています。
自治体職員が市民と「対話」ができるようになるということは、実は自治体や自治体職員自身のためではありません。
自治体は多様な市民の立場や意見を代弁し調整する主体ですが、自らの独立した意志を持つ主体ではありません。
自治体が主張する意見や立場はすべて市民の誰かの意見や立場を集約し代弁しているものであり、自治体と市民との「対話」というのは多様な意見を持つ多種多彩な市民同士の情報共有、相互理解のためのものなのです。

ということは、自治体が市民と「対話」ができないというのは、自治体で暮らす市民同士の「対話」ができないということになります。
同じ地域に住み、同じ空間で生活を営む市民同士が互いに理解しあえない、心理的安全性を保てないというのはとても不安で不幸なことです。
市民が互いに安心して暮らせる心理的安全性。これを保持するために果たすべき自治体の「対話」に関する責任は重大です。市民が互いに自らを「開き」相手を「許し」、認めあい、語りあい、手を携えて同じ方向に向かうためには、その意見や立場を代弁し調整する自治体が「対話」できなければいけない。
つまり自治体職員一人ひとりが「対話」できなければいけないのです。

いかがでしょうか。
自治体職員が市民と,あるいは職員同士で「対話」ができることが市民の幸せの根本とすれば,利害の異なる市民同士の「対話」を代弁し,庁内での合意形成(=市民の合意形成)を円滑に行うために職員一人ひとりが前提として理解すべきは,自治体の目指す姿とそのために行っている取り組み,そしてそれを制約する財政状況ということになります。
枠配分予算制度は単に予算編成手法として効率的であるだけでなく,職員がこれらを体得するうえで必要かつ大変有効な,人材育成あるいは職場のマネジメント力向上の一手法だと私は思っています。

組織の自律経営を嫌がり,権限や責任の委譲を避ける現場がいたら「自分の権限ではない」と説明を回避して市民から逃げ,責任を官房部門や首長に転嫁することが本当に市民のためになるのかと問いかけてください。
私の財政出前講座の締めの言葉「一人の千歩より千人の一歩」は,財政課長の自分が一人で千人分の仕事をするのではなく、財政課長の自分と同じ価値観を共有し、それぞれの現場で自律的に判断できる千人の仲間と一緒に、同じ方向に一歩ずつ歩いていきたいという思いを込めた言葉でした。
各職員,職場で自治体全体の方向性が共有され,同じ目的に向かって各職場,職員が自らの持ち場で全力を尽くすのが組織の自律経営。
常に誰かの顔色を窺い,現場では何も決められない一極集中の中央集権ではなく,市民に近い現場で全体最適と部分最適の統合が自発的に行われる組織です。
それがどれだけ価値の高いものかは,財政課長だった私がそう思うというだけでなく,市民から見ても変わらないと思います。

過去記事もご参照ください。

★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
★書籍を購読された方同士の意見交換や交流、出前講座の開催スケジュールの共有などの目的で、Facebookグループを作っています。参加希望はメッセージを添えてください(^_-)-☆
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