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不毛だと嘆く前に

必要なところに予算をつけろ
無駄なものに税金を使うな
どちらも耳を傾けるべき市民の声
それが同じ事業に対する声だから悩ましいの
当人同士で話し合ってくれないかしら
#ジブリで学ぶ自治体財政

令和4年度当初予算の編成のための庁内議論が各自治体で進んでいます。
その多くは建設的な議論にならず,「要るものは要る」と「ない袖は振れない」の深い溝は埋まることがなく,聞こえるのは不平不満や怨嗟の声ばかり。
「財政課は現場のことがわかっていない」という現場。
「現場は自分たちのことしか考えていない」という財政課。
この対立を解消することは容易ではありません。
そもそも同じ自治体職員なのに,同じように自治体住民のために良かれと思って仕事をしているのに,このような深い対立に至るのはなぜなのでしょうか。

私たち自治体職員は,予算折衝をはじめとする庁内での様々な議論において,個人の主観,主張に基づく意見を互いにぶつけているわけではありません。
私たちが日々職場で議論や対話を重ね、庁内での合意形成を図り、方針を決定し、その方針に従って日々の事務を遂行しているのはすべて,多様な意見を持つ市民の利害、意見の代弁者として市民同士の対話や議論を代理している。
私はそう考えています。
それぞれの事務分掌を抱えた組織は多様な市民の立場や意見を代弁し調整する主体ですが、自らの独立した意志を持つ主体ではありません。
職員,組織が主張する意見や立場はすべて市民の誰かの意見や立場を集約し代弁しているものであり、職員同士,組織同士の対話や議論は多様な意見を持多種多彩な市民同士が自分たちだけではできない膨大かつ多岐にわたる情報の共有と,その中で同じ共同体に暮らす者としての相互理解を図るためのものなのです。

例えば,福祉部門の担当者が「生活困窮者を支援する事業の拡充が必要だ」と主張する場合,その事業を行うことで生活に困窮する市民の状況を改善することができると考えているからであり,生活困窮者自身,あるいはその状況を改善することが社会のためになると考える市民の意見を代弁しています。
一方で,財政課は「それは本当に必要なのか」「そこまでお金をかける必要があるのか」と主張しますが,これは一部の市民の生活困窮の解消とは別の問題解決に予算を投じてほしいと考える市民の意見の代弁です。
今,どの自治体でも繰り広げられている「要るものは要る」と「ない袖は振れない」の交わらない主張は,どちらもその自治体で暮らす市民の意見対立なのです。

この異なる市民意見の代理戦争を終わらせるためには三つの行程が適切に行われる必要があります。
まず,一つ目は「職員が市民の意見を正しく理解する」こと。
職場で振りかざしている論理は本当に市民のニーズ,感覚に基づいたものでしょうか,胸に手を当てて考えてみてください。
それはいつ誰から聞いたものか。自分の頭でそう思い込んでいるだけではないか。声の大きい人や,自分と馬の合う人から聞いただけのものではないか。職場でその意見を組織として代弁すべきほど多くの市民の思いなのか。
現場の場合,市民と接する機会も多く,市民の意見を代弁することはそう難しいことではありませんが,私が財政課にいたころに感じていたのは,財政課側に立つ市民の声というのは,一つの声として聞こえてくることはそう多くなく,財政規律の維持や政策の優先順位について直接聞こえてくる声を代弁することは難しいということです。
「厳しい財政状況の中で真に必要な施策事業への選択と集中を図る」という財政課の常とう句は,「何がどう厳しいのか」「真に必要とはどういう意味か」という部分を市民が理解し,もっともだと思わない限り,市民の意見を代弁したことにならないわけですから,財政課としては市民が自治体の財政事情や政策の優先順位について正しく理解するための努力が必要になるわけです。

二つ目の行程は「職員が市民の意見を代理して対話,議論する」というステージ。
予算編成は自治体運営のすべてをお金という共通項目で束ね,それを収支均衡というルールの中に押し込めるための壮大な利害調整で,その本質は意見の異なる者の合意形成にほかなりません。
財政運営がうまくいかないのは,お金がないからではなく,その使い道を話し合って合意形成に導くためのコミュニケーション不足こそがその要因です。
そこで求められるのは「対話力」。
何を実現するかではなく、次に諦めるのは何か、最後まで残すのはどのカードか、ということについて合意形成していかなければならない時代に,「対話」によって意見の違う互いの存在を許し合い、互いに心を開き合い、多様な立場から見えている世界の情報を交換し、その危機感や目指すべき未来を共有し、そこから導かれる苦渋の選択の場に居合わせる。
誰もが目指すわかりやすいゴールがあった成長の時代と違い、縮小する未来において何を遺すかという局面においては、理論的な正しさを追い求めるのではなく、合意形成の過程に居合わせその当事者となることがそれぞれの納得感につながっていくのだと私は思います。

自治体の予算編成における結論を,市民が納得感をもって受け入れることができるよう,合意形成の過程でその当事者となるべくすべての市民を「対話」の場にお迎えすることはもちろんできません。
であるからこそ私は,市民の利害の代弁者である各部局の現場職員が意思決定過程での「対話」の当事者となりうるよう,現場に権限と責任を委譲する枠配分予算の仕組みが適切だと考えているのであり,それを機能させるためには日ごろから財政課などの官房部門と現場が情報を共有し,立場を超えて互いを理解しあえる関係性を構築しておくことが必要だし,市民と行政の関係性においても情報の共有,立場の共有,ビジョンの共有といった,「対話」によって培われる信頼関係の素地づくりが不可欠だと考えているのです。

三つめは,代理によって交わされた対話や議論の経過や結果を正しく市民に伝えること。
市民の代理として行った対話,議論である以上,当然代理元である市民にその経過,結果を伝え,その対話や議論で交わされた言葉や情報を知ることで市民本人が理解納得できるようにすることがそもそも代理の本旨ですから,これが実行されなければお話になりません。
しかし,先に述べた二つのことが行われなければ伝えることもできません。
今,我々自治体職員ができていないのは,三つ目に挙げた「対話や議論の経過や結果を正しく市民に伝えること」だけでしょうか。
一つ目の「職員が市民の意見を正しく理解する」,二つ目「職員が市民の意見を代理して対話,議論する」がそれぞれきちんとできていないから,三つ目ができない,あるいは,そもそもこういう構造になっているということ,我々自治体職員が誰のために,何のために庁内で議論しているのかをきちんと理解できていないのかもしれません。
長い時間と膨大な労力をかけて全国の自治体で繰り広げられる予算編成の議論。
不毛だと嘆く前に,何のためにそれだけの時間をかけているのか,誰のためにこの労力をささげているのか,公務員として働く我々の矜持とは何なのかを改めて考えてみてはいかがでしょうか。

★自治体財政に関する講演,出張財政出前講座,『「対話」で変える公務員の仕事』に関する講演,その他講演・対談・執筆等(テーマは応相談),個別相談・各種プロジェクトへの助言・参画等(テーマ,方法は応相談)について随時ご相談に応じています。
https://note.com/yumifumi69/n/ndcb55df1912a
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
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