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裁量と責任は表裏一体

俺はお前らのお守りをしてる暇はないんだ
自分のことくらい自分でやれっての
やりたいこと好き勝手にやって
後始末だけ泣きついてくるなんてのはナシだぞ
#ジブリで学ぶ自治体財政

私が常に推奨し続けている枠配分予算ですが「どうしても枠に入らない」と現場がさじを投げてしまったらどうすればいいのか,よくご質問をいただきますが私はいつも即答します。
「枠に入るまで絶対に財政課で受け取ってはいけません。それは各部局に与えた裁量であると同時に各部局が負うべき責任です」と。

「配分される枠がそもそも足りないので裁量がない」「枠の配分が公平でない」と言って現場がさじを投げてしまうといっても,そもそも枠が足りないのは自治体財政が直面している収入減少や義務的経費の増加という避けられない現実に起因するもので予算編成手法云々の話ではありません。
枠が平等でないというのも言いがかりで,自治体の各現場で担当している仕事は,忙しい職場にはたくさんの人が,確実に成果を出さなければいけない課題のある職場には優秀な人材が配置されていると思いますが,そのことを「不公平」とは言わないでしょうし,財政課が一件査定する場合でも,予算がつく事業,つかない事業,結果はさまざま。これが資源配分です。
お金が足りない中で何を残すのか,事業手法をどのように見直すのかを財政課が主体となってそれぞれの現場に査定で切り込んでいくのか,現場が自分たちで主体的に見直して与えられた枠の範囲に収めるのか,というだけの話です。

枠配分予算を骨抜きにしてしまう最大の要因は「現場の財政課依存」。
配分された枠の範囲内で予算編成をしなければならないのに自分たちの裁量で枠に収めることができず「あとは財政課でお願いします」とさじを投げてしまう,あるいは配分された枠が少ないことを理由に「財政課からの配分が少ないから必要な事業ができない」と市民や議会に言いつけてしまうなど,現場に与えられた責任と権限を現場がうまく行使できないことを指します。
配分された枠が少ないと現場ではよく「これでは昨年と同じ仕事ができない」と言いますが,法令で定められたこと,毎年経常的に行っているルーティンワークといえども,限られた財源の範囲内で予算を編成し事務を遂行しなければならないことは明らかで,そのために必要な支出額を賄う財源が保証されているわけではありません。
また,配分された枠の中での優先順位,事業費削減等の見直しを自分たちの裁量でできないと匙を投げるのは与えられた責任の放棄です。
複数の事業を束ね,その総合的な推進で施策の効果を得ることがミッションである部長や局長が,現場で厳しい判断をしたくないから,自分の部下からそっぽを向かれたくないから,自分が市民批判の矢面に立ちたくないから,枠配分予算制度の期待する趣旨から目を背け,判断から逃げて,財政課に責任を擦り付けてしまう。これでは枠配分予算を進めることは到底できません。

地域や市民の要望に応えられなかった言い訳として「財政課から予算を削られた」「財政課に予算をつけてもらえなかった」などと現場の職員が市民や議会になどと自分の責任を回避するのはとんでもないことです。
予算編成の過程で十分に枠が与えられなかったとしても,個別に査定を受けて事業費が削られたとしても,それは自治体全体の意思決定過程で首長の持つ予算編成権限をそれぞれの立場に委譲を受けて行ったもの。個々の施策事業の内容,積算根拠,事業費の増減があった場合の理由については,よほどのことがない限りは事業所管課で説明していくことになります。
市民や議会から予算が減った理由を尋ねられた場合にはその答えに対して納得と共感を得るためにも,「財政課から削られた」と他律的に理由を述べるのではなく,厳しい財政状況やその中での優先順位の考え方を財政・企画部門の考え方を踏襲して自分の所属の施策事業に落とし込み,そのうえで自らの所管する事業の見直しの考え方について,市民やその代表である議会に対しては現場自らが説明しなければいけないのです。

配分される財源の「枠」は、使える金額の上限規制ですがその上限いっぱいまでの裁量権を付与することでもあります。
「枠」の配分を受けた局長は、やるべきこと、やりたいことの優先順位を考え、与えられた権限の範囲内で最大のパフォーマンスを発揮できる施策事業に財源を充当するために、限られた財源をできるだけ有効に使おうという意欲のもとで、配下所属の個々の事業内容や金額を精査し比較優位を検討することになりますが,その一方ですべての事業に満額の予算がつけられるだけの財源は与えられていないことから、局長自身は何かを取捨選択しなければいけない局面には立たされます。
それは自らの権限と責任で行いうることであり、行わなければならないこと。
権限、裁量と責任は表裏一体のものとして「自分ごと」化され、自分で何とかしなければならないと考えた局長は、配下の組織に命じて創意工夫を巡らせます。
こうして、限られた財源を「適正に」使う知恵が生まれるという仕組みなのです。

組織を動かすことは人を動かすこと。
私はそのことを「枠予算制度」による組織の自律経営を通して痛感しています。
現場が適切に判断することができると信じて権限を委ね、その現場判断を尊重しながら、財政課は全体最適のためのフレーム、アウトラインの調整に専従することで、権限を委ねられた現場には与えられた権限をより適切に行使しようというモチベーションが生まれ、そのやる気が現場のスキルアップの意欲の源となるのです。
人を育て、組織を育てなければ、組織は持続しません。
永遠にたった一人のスーパーマンが財政課長に君臨し、すべての予算を査定し続けることが不可能である以上、権限の委譲により多くの担い手を育て、現場の末端までその精神が浸透することで、刻々と変化するそれぞれの現場の状況に応じて、予算の編成や執行に限らずとも、わざわざ大脳中枢にお伺いを立てず脊髄反射的に現場で反応できる組織になる。
枠配分予算による組織の自律経営は、そんな組織を育てるための手法なのです。

とはいえ,責任が伴うのなら権限も欲しくない。
大人になんかなりたくないと駄々をこねる子供のようにも思えます。
そんな風に考える現場をどうすればその気にさせることができるのでしょうか。
また,なぜその気にさせる必要があるのでしょうか。

過去記事もご参照ください。

★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
★書籍を購読された方同士の意見交換や交流、出前講座の開催スケジュールの共有などの目的で、Facebookグループを作っています。参加希望はメッセージを添えてください(^_-)-☆
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