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何人たりとも侵すべからず

何の権限でうちの業務を見直せっていうんだい
財政課が代わりに市民に説明してくれるのかい
そうでないならうちの業務には一切手を触れさせないよ
#ジブリで学ぶ自治体財政

自治体の職員は、自分の担当する事業の予算を削られることを嫌います。
財政健全化の議論を庁内で進めるうえで、どれだけ財源不足を丁寧に説明しても、どれだけ優先順位の高い分野に財源を振り向けるから協力してほしいと頭を下げても、必ずこの抵抗に逢い、その力強さには舌を巻きます。
なぜそんなに予算が縮小することを嫌うのでしょうか。

以前「縄を張る人たちへ」でも書きましたが、役人は、自分たちが使える予算が減るということをマイナスにとらえがちです。
それは、予算の額が自分たちの権限、影響を及ぼすことができる範囲、つまり「縄張り」を表し、その大きさが自分の仕事の評価を表すと考えているからです。
仕事をやっているか、成果を上げているかは、獲得した予算額やその執行額で評価される文化が残っているので、自分の「縄張り」を減らされたくない、という論理ですが、もし本当にそうだとしたら悲しい話です。
全体最適ではなく部分最適を求め、自分の手柄だけを考えるような人物に管理職としての権限を与え、自治体に求められる全体の奉仕者としての組織マネジメントを担わせることができるのか、はなはだ疑問だと言わざるを得ません。

そんなに強い縄張り意識はなくても、自分の課の予算ばかり絞られて、別の部署には潤沢に予算がある、どうして与えられた「縄張り」の取り扱いが平等でないのかと憤る場合があります。
これは、その職員が与えられた仕事に対して誇りを持ち、非常に真面目に取り組んでいて、その成果を上げることが職員にとって最上の価値である場合にありがちな「たこつぼ」思考です。
この思考では、自分の担当する分野に没入するあまり、他の職員、他の組織が担当している「縄張り」の中身が見えず、それが見えていないなかで自分の「縄張り」と同質であって同等に扱われるべき、との認識が先立ってしまっています。

それぞれの施策事業に予算配分上の優先順位が付くのは、その施策事業の領域が、自治体にとって重要で多くの市民から求められている分野かどうかで差がついているのであって、各所属の「縄張り」は均等、均質ではないと理解すべきなのですが、こぼ「たこつぼ」思考も、職員が全体を把握できずに部分最適に陥ることを容認している、組織としての人材育成やマネジメント上の課題だと思われます。
この問題では、市民や議会への説明を厭う人、今までと仕事のやり方を変えることを嫌う人もいますが、これはもし、財源不足の状況や事業の見直しの必要性を総論で理解していながら各論で自分の担当する事業は見直したくないと言っているのであれば、それは結局のところ自分さえよければいいという自己保身でしかなく、自治体に求められる全体の奉仕者としての望ましい姿とは言い難いと私は考えています。

こう考えていくと、私たち自治体職員は、どうして部分最適の罠に落ち、全体の奉仕者としてふるまえないのか、という問いが浮かび上がってきます。
自治体全体の財政状況、収支の構造を正しく理解し、必要な支出を賄うための収入が不足していることを知り、これを補うには自治体全体で施策事業の優先順位をつけ、既存事業の見直しを行うことで財源を生まなければならない。
こんなことはちょっと説明を聞けば簡単にわかる話で、何も高度で難解な講釈を理解する必要はありません。
自治体全体が抱えるこの課題を理解しながら、なぜ「うちの事業だけは見直したくない」と部分最適に走ることができるのでしょうか。
個々の職員、職場が与えられた事務分掌に対して忠実であろうとするあまり、角を矯めて牛を殺すことを、なぜ誰も止められないのでしょうか。

それは、以前「過剰な恐れ」や「新しいことはしたくない」で書いたように、広範な領域にわたる自治体業務を公平公正かつ迅速正確に実施できるために精緻に組み上げられた組織の中で、厳格に定義された境界線で仕切られた各自の持ち場で個人として最大限のパフォーマンスを果たすことが、自治体職員として最も求められるスキルであり、互いに「越権」しない代わりに自分の領域への介入を許さないという暗黙のルール、たとえ全体最適を考えてのことであったとしても、他の職員や職場に権限のある案件に口や手を出す「領空侵犯」は慎むべきと
されている組織文化のもたらした結果なのだと思います。
もちろん、一つの財布を共同で管理する組織の中でお金の分け前の話をするときに、組織の構成員が互いの領域に踏み込まずに議論できるはずないのですが。

役所の人事異動はサイクルが短くその異動先も分野が幅広いのは、たくさんの事業領域のことを経験させてゼネラリストを育てるという趣旨らしいのですが、だとすればそれだけたくさんのゼネラリストを育て、どの部署の業務でもそこにいる人も互いに良く知っている状態なのに、なぜ部分最適しか目指すことができないのか。そんな問いかけを受けたことがあります。
「越権することを評価する仕組みがない」
「越権で間違いを犯すことを恐れている」
「越権できるだけの人的資源を組織内に持っていない」
答えはさまざまあるかもしれませんが、職員一人ひとりが職務の中で全体最適を意識し、担当領域を越えて行動できるモチベーションをどうやって日々の業務の中に仕組むことができるのか、私自身まだ答えを持っていません。

ただの精神論で「自治体職員は全体の奉仕者なのだからかくあるべし」とこぶしを振り上げても、それが職員の心に響き、その行動を変容させるには、何かもう一つ、足りない要素があるのだと思っています。
それはきっと、全体最適を考えて行動する必要性を力説するということではなく、そうすることが職員自身の何らかの心地よさにつながる、例えば褒められ、評価され、いいことをしたと自分で感じて気持ちいい、といった感情を持てる環境が、職場や社会にあればいいのだろうとは思っているのですが。

※過去の投稿もご参照ください。

★2018年12月に「自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?」という本を出版しました。ご興味のある方はどうぞ。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
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