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美田は残さずとも

ねえどうして毎日こんなにごはんが少ないの
昔の人たちが身の丈に余るぜいたくをしたせいで
今はその時の借金を返すのが精いっぱいだからさ
#ジブリで学ぶ自治体財政

昨日の「教育国債」の話の続きです。
来る衆院選に向けて某政党が掲げた公約,教育や人づくりに対する支出は将来の成長や税収増につながる投資的経費であることから,「教育国債」によって資金を調達し,文教・科学技術振興費を増やすというこの政策に私は二つの懸念を示しました。
一つは,その債務によって得られた便益の可視化が難しく,得られた便益相当の費用を負担することの納得性が得られにくいこと,もう一つは,特に教育施策の充実に関する費用について,それは本当に将来の国民が負担すべきものなのか,現在の子どもたちの親世代が負担すべきツケを子どもたちに回しているということになるのではないかという懸念です。

これらは対象事業やその成果,あるいは世代間負担の考え方を整理すれば,なんとか国民のコンセンサスが得られるかもしれません。
しかし,昨日,書かなかったことがもうひとつあります。
当たり前すぎて書くのを忘れたのですが,念を押しておきましょう。
国や自治体が借金をしていいのはどんな時だったでしょうか。

国も地方自治体も,原則として,借金をしてよいのは道路や公園,学校などの社会資本整備に充てる時だけです。
これは,将来にわたって長く使い続ける社会資本の整備費用について,整備を行う時期の市民だけで負担するのではなく,その社会資本の便益を受ける将来の市民にも負担していただくことで世代間の公平を図る,との考え方によるものですが,そもそも国や地方自治体に限らず,借金をしてよい場合とよくない場合があるのを皆さんお忘れではないですよね。

家計に例えればわかる話です。
毎月の収入が30万円しかないのに毎月50万円の贅沢な生活はできません。
毎月決まった収入が30万円の人は,毎月必要な経費は30万円の範囲でやりくりしないといけないということです。
それを貯金があるからと言って,毎月取り崩して食費や家賃など毎月必要なランニングコストに充てていけば,貯金がなくなった時点でその生活レベルを維持することはできなくなります。
月収50万円だった人が月収30万円になり,それが一時的なものでないのであれば,一時的には貯金で食いつなぐにしてもいずれ月収30万円にみあう生活水準に落とさなければいけないということです。

逆にその不足分を借金で賄ったとしても,毎月同じ金額を借金し続ければ,収入が増えでもしない限り,雪だるま式に借金は膨れ上がります。
月収が30万円しかないのに,毎月50万円支出するぜいたくな生活をしようとしても,短期的なもの,終期が定まっているものならいざ知らず,今後相当の期間その差額を借金で賄うというのは誰が考えてもできるわけがない。
つまり,借金や貯金の取り崩しはあくまでも臨時的な支出増や収入減に対応するために行うもので、毎年同じくらい費用が掛かる施策の経費(経常的経費といいます)に貯金や借金を充ててはいけない,その支出に見合う収入が継続的に入ってくるか,その支出に見合う別の経費を削減できないのなら,新たに経常的な施策を始めてはいけないのです。
件の教育国債でいえば,10年間で50兆円発行し,教育の無償化をやるとします。
その経費捻出のために毎年5兆円の借金をする場合, 10年後に毎年経常的に入ってくる収入を5兆円も増やすことができるのか。
あるいは,毎年経常的に行っている施策事業を5兆円分も削れるのか。
そのどちらもできない時に,いったん始めた無償化施策を10年後にやめることができるのか。
そんな施策だとわかっていて国民は支持するのか。
皆さん,いかがお考えでしょうか。

実はこの話,地方自治体の現場ではありえない議論です。
なぜなら,地方自治体は赤字を埋める借金を禁じられているからです。
何か新しいことを始めようにも,収入が同じなら何かを減らさないと新しく始めるための財源が確保できない。
しかし国は収支不足を借金で補填する「赤字国債」が認められています。
国の赤字国債は,返済期限はあるものの借り換えも可能ですから実質、無期限ということになっており,このような方式で収入の額を予算の段階でコントロールできるという魔法の杖を手に入れてしまうと支出を抑制することなどできるはずがありません。
「足りなければ借りればいい」という逃げ道があると「足りないから無駄な支出を抑えよう」という意思が働きづらくなることは個人が消費者金融などで生活費の不足を補填してしまう気持ちと同じです。

そうやって国は,国民の嫌がる歳出抑制をせず安易に借金に頼り,結果として毎年必ず必要な経費を借金以外の手法で賄うことができず,プライマリーバランス(借金以外の収入で借金返済以外の支出が賄えているかどうかを表す指標)がを黒字化することができないのです。
「教育国債」がもし毎年必要な経常的経費に充てられ,それがいったん始めればやめることのできない施策であったなら,それは名前を変えただけの赤字国債でしかありません。
国は赤字国債という禁断の魔法の杖で,国会の議決を経て国民の合意を得ながら毎年せっせとお金を借りて国民が求める施策事業にそのお金を使い,開いた口のふさがらないワニの絵を国民に示すに至りました。

この原因の一端は当然,我々国民にあります。
国が借金をして国民に配るお金は誰のお金なのでしょうか。
将来の国民が収める税金を現在の国民に配っているということなら,まだ選挙権のない将来の国民に対して,私たちはなんと申し開きができるのでしょうか。
今後,様々な美辞麗句が飛び交う選挙戦の中で新たな施策が提示されるたびに私たちは,それは誰のお金,どのお金でやるのかということに思いをはせ,見栄えの良い政策を掲げる政治家たちがそのことをどのくらい考えているか,値踏みしなければならない。
私はそう思っています。

★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
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