優しくして というエゴ
今日、PMSでたまらなく体調が悪かった。
頭痛いし、体重いし、頭働かない、体動かない、いつもできてたことが全くやれない。自責と他責。イライラ、虚しさ、等。
こんな時は恋人にただ優しくして欲しかった。
理由なんてない。ただ優しく、付かず離れずで気にかけて欲しかった。
そして、そうじゃない恋人に失望した。
でもさ、この欲求は何なの?
優しくしてって、どうして欲しいの?
考えてみた。
私アンサー「自分がつらい(我慢してる)分、同じだけの我慢を相手がする事で、自分の気持ちの均衡を保とうとしている」。
は?
自分の性悪さにビックリ。
これは万年病気のうちの母を見ててもそう。
母は自分が一番かわいそうだと思っていて、そんなかわいそうな自分を皆が気遣うべきだと思っていて、特に近しい父は自分にすべてを捧げるべきと思ってる。
その思考回路、一緒だと思った。
つらいのは自分だけじゃない。心の均衡を保つために相手を引き摺り下ろそうとしている。そう思えた。
もちろん病人の全てがそうじゃない。そうじゃない人もいる。
でもそんな母をずっと見てきたのと、性根悪な私は、つらい時には周り、特に近しい人は自分に優しくするべきだと思ってる。それがわかった。
「優しくして♡」ってはかなくて可愛くて頼りなげで。私も相手のためなら、相手が喜ぶならそうしたい!!って迷わず思うけど、でもそれは優しさを強要して、相手が優しい態度(そしてその優しい態度に本人が満足することはとても難しい)を取ることを強制してる。
優しくして、って自分のわがままを聞いて欲しいってことだと思う。自分のために尽くして=自分のために時間や労力を使って=あなたの生活の中の私割合を上げて=あなたのこれまでの生活を変えて♡だってあなたは私のこと好きなんでしょ?という傲慢さがある。
「優しくして」ってもっともな言葉なんだけど、その実、使う状況によっては恐ろしい裏があると思った今日の自分の無意識の叫びだった。
でもきっと私はこれからも思う。
「理由なんてどうでもいい。つらいの。だから、ただ、優しくして」って。
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