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【掌編小説】わたしのさくら、わたしたちのさくら

                     
 拝啓 すっかりご無沙汰しています。いかがお過ごしでしょうか。
 この間まで続いていた残暑が嘘のように気温が下がり、昨晩はいかにもつめたそうな風雨と雷の音で心細い思いをしました。
 今日も空気はひんやりとしていましたが、心地よく晴れ上がったので、散歩にでかけました。足元に、気の早い落ち葉が転がってきます。そういえば習慣で聞いているラジオの英会話番組で、「マサチューセッツ州は紅葉で有名である」という話題がとりあげられていたのはつい先日。未知の土地の錦のさまを思い浮かべながら歩いていたから、少しうわの空だったのでしょう、見覚えのない場所に迷い込んでしまいました。
 古ぼけたベンチが一つあるだけのこじんまりした公園のような場所で、一本の桜の木が、赤く染まった葉を落としつつありました。さきほど足元に転がってきたのはこの中の一葉だったのか、それにしてもすこし時期が早すぎるんじゃないだろうかと思いながらも、その美しさにしばしみとれてしまいまいました。そして、この葉の一枚一枚が、あの木のいのちのかけらであり、それは文字のかかれない手紙である、という思いが心に湧きました。たまにはそんなセンチメンタルなことを思うのも、べつだん人に迷惑をかけるわけでもないのだからいいでしょう?
 あの木のようにはなれなくても、葉にはなれるのではないかしら。この世界の美しさを、誰かに伝えるために足元に転がっていくことはできるのでは。そう思えました。
 帰ったら、懐かしい人に手紙を書こう。そう決めて踵をかえすと、迷っていたはずなのにまっすぐに家に辿りつきました。
 それでいま、こうしてあなたに向けて言葉を綴っています。お返事はいりません。
 時節柄ご自愛くださいますよう。 かしこ
               高木幸子
花山美幸様 

 さっちゃん!
 お手紙ありがとう。あなたったら、学生時代から全然変わらないブンガク少女ぶりね。わたしもがんばってキザな……失礼、高尚な手紙を書こうと思ったけど、ダメだった。最近は手書きの文字も書き慣れなくて、せっかく素敵な便箋を買ったけれど(買ったんだよ、あなたのにまけないくらいのをね)メールでお返事します。あれだね、ゼミの卒業生名簿、この個人情報の扱いがやかましい時代にいつまでも住所やメールアドレスを集めて載せて(拒否権があるとはいえ)大丈夫なものかと思うよね。でもこういうときは便利便利。
 はっきり書かないのがさっちゃんらしいと思ったけど、突然お手紙くれた理由、なんとなくわかる気がします。今年の初めから流行している感染症の影響で、わたしたち、「恐怖と分断の時代」を生きている。(テレビの受け売りの言葉でごめんなさい)。わたしは家族を、特に子どもたちを守るのに必死。夫と娘二人との四人がまるで、寄る辺ない小さな舟に乗って漂っているような感じの毎日です。特に下の娘はまだ三才。まったく外に出られなかったあの頃には親子ともどもストレスがたまってたいへんなことになっていました。小さな舟のなかは、てんやわんや。
 こんなときに、自然に美しさを見出すさっちゃんの感受性の豊かさには敬意を表します。でも、落ち葉から手紙を連想したのは、もしかしてさびしかったからじゃないの?どんな毎日を過ごしていますか。できたらおしえてね。メールでいいから。
              みゆきより

拝啓 秋の深まりを感じるころとなりました。
 メールをありがとう。私は(あなたは気障っていうでしょうけれど)こうして万年筆で文字を綴るのが落ち着くので、また手紙を書きますね。
 孤独といえば、孤独なのかもしれません。いわゆる「リモートワーク推奨」の期間を過ぎても、うちの社は家でできる仕事は家でしたほうがいい、という方針とシステムなので(もともとはオリンピック・パラリンピックへの対応のためだったのですが)、あまり外へ出ないし、ご存知の通り独り身で一人暮らし。一日中誰にも会わない日もよくあります。画面ごしに顔を見るのは「会う」とはいえないと感じています。
 離れて暮らす両親にもなかなか会いに行くことができず、気にかかるばかり。
 でもね、あなたにお便りしたのは淋しさからだけではないの。本当です。あの木を見たとき、あなたがいつか話してくれたことを思い出したのです。
 あなたが育った町の小学校の周りには桜の木がたくさん植えてあって、年によっては新入生の数より多かったこと。北の桜の花は入学式のころではなく、一年生が学校に慣れたころに満開になり、そのあとしばらくしてなるちいさな実を、見つかると先生に怒られるしすっぱくて美味しいとはいえないのに子どもたちは争って食べたこと。秋には紅に染まり、冬には雪をかぶって美しかったこと……。
 テニスサークルに所属していつも元気溌剌だったあなたが、めずらしくしみじみと、いとおしそうに話してくれた思い出だから、心に残っています。ゼミのお花見の時だった。そのときあなたは言ったの。
「どんなにきれいに花を咲かせる名所の桜も、わたしの桜じゃない。わたしの桜は、ふるさとの桜だからね」
「まるで『智恵子抄』だね」
 と、ほかの人たちはからかったけれど、わたしは心底感動した。
 自分の桜、自分の木、といえるものがこの世に存在することは、どんなにか人生を豊かにするでしょう。そして、あなたの強さと明るさの秘密も、そこにあるような気がしたのよ。
 長くなりました。
 末筆となりましたが、ご家族様ともども、ご健勝にお過ごしになれますようお祈り申し上げます。          かしこ
               高木幸子
花山美幸様

 さちこさま 
 お返事遅くなりました。ばたばたしてて。すっかり冬だねー。寒い寒い。
 わたしふるさとの桜の話なんて人にしたんだっけ。ちょっとはずかしいな。でも、お手紙のおかげで、ひさしぶりに思い出しました。そして、実はちょっと泣いちゃった。ここ一年くらい、ううんたぶん何年も、張りつめていた気持ちがゆるだんだと思う。「あなたの強さと明るさの秘密」なんて書いてくれたけど、わたしは強くも明るくもない。無理してるところがある。だけど無理してでもがんばれるのは、もしかしたら、ふるさとの、桜の木をはじめとした思い出のおかげなのかなと思った。
 それでね、なんやかやせわしい毎日の中でも、あの木たちのことを考えると背筋がすっと伸びるような気がしてた。
 あのね、娘たちと散歩していると、あの子たち視線が低いから、木の根元のほうに興味を示したりするのね。木ってわたしたちに見えている幹とか枝、葉や花や実を支える「根っこ」があるじゃない。人間にもそれぞれの「根っこ」があるんじゃないかな。今みたいに、強制的にばらばらに離されたとき、だいじなのは自分の「根っこ」を確認して水をやることなんじゃないかと思う。そしたら、それぞれの木がのびのび空に向かって伸びる。空は、みんなとつながっているよね。つまり心地よい距離をとりながらみんなとつながるためには落ち着いて自分を見つめる必要があるみたいな。なんか、さっちゃんみたいにうまくいえないな。とにかく、そんなことを考えた。考えさせてくれてありがとう。
 あと、さっちゃんにも、もう「自分の木」あるじゃない。最初のお手紙に書いてくれた公園の桜の木。あんなに心を動かされたなんて、何か特別なつながりがある木にきまってる。
 もうすぐ今年も終わるね。来年はいい年になるといいね。またね!   
              みゆきより 


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