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耳の話

 その春、小学校で飼われはじめたうさぎは、たちまちどんどんふえた。
 子うさぎが人気をあつめ、休み時間には小屋の前に人だかりがする。
 飼育係の腕章をつけた上級生だけが、小屋の中に入ってエサをやったり、掃除をしたりできる。
 ある日、飼育係の男の子の一人が、ギャラリーのわたしたちにむかって、ちょっと得意げに、
「うさぎの持ち方って知ってるか? 耳を持つんだ」
 と言いつつ手近にいた子うさぎで実演しようとするやいなや……。
 なんと、片方の耳がぽろりととれてしまった。
 教訓。子うさぎの耳をつかんではいけない。

 日だまりの中、完璧な形を保ったまま横たわる小さな耳には、この世のものとは思えないかわいらしさがあった。
 すこしグレーがかったふわふわの毛並み。
 裏庭の隅に埋められるところまで、見届けた記憶がある。

 「本体」のほうは片耳のまま意外と元気に生長し、なかなか凄みのある大うさぎになった。
 片耳だけが子うさぎのまま、地面の下で何を聴いているんだろうな、と思って、わたしはときどき裏庭へ「耳のお墓参り」に行った。
 その頃には、うさぎの人気もすっかり下火になっていた。

 今でもうさぎを見ると、なんだか耳がとれてしまいそうではらはらする。
 いっぽうで、あれは本当にあったことだったのかしらと、うたがわしい気持ちもしてくる。
 あの頃は、夢と現実の境がゆるやかで、今に比べて、もっといろいろなものが見え、聞こえていたと思う。

 小学校の裏庭に埋められているのは、そんなわたしの「子どもの耳」なのかもしれない。


冨樫由美子『バライロノ日々』(2005、新風舎)より。加筆訂正あり。


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