見出し画像

その5 なんとか形になった通し訳

  構成1の通し訳【No.1】は以下のようなものである。

奇異を感じ 自分の思う所を 繰り返し心に思い留めておくと それは自得のものとなる 
そうして長い時 自らの行う所を修めていく 
動揺しないように 執われないように 黙を志す 
解脱し 済度するには 平等を知る必要がある 
邪を無くせば 心は和に安じることができる 
普く平等を知れば 尽く邪を滅する 
滅し尽くせば 脱するものは無くなり 深い黙の状態になり 執われも無い 
これが 陀羅尼の心である              

自らの心を観察すれば 光耀がある 
自らを恃みとし すっかり清浄となっている 
でこぼこもない 高い低いもない ぐるぐる回ることもない 
回って回ったその先の落ち着いたところに定まっている 
その目は清浄で 以前とは同じだけれど同じところはないのである 
覚り終わって 一切を離れ その上に法を察するようになる 
衆の思いは皆同じ 説く所は明らかである 
壇という全てを備えたところ 満足した状態に落ち着いている 
尽く限りを除き その音を広く宣べ伝えよ 
人の声を一つ一つ暁り了わって その上にこの文字を明らかにするであろう
これは尽きることはない 思念する所もないのである

 訳文にあるように、これは実は陀羅尼呪というものである。
法華経 陀羅尼品第二十六の中に収められている。そのため、元の単語の意訳もこの訳文も仏教的な表現に寄っている。そう、この時私はこの陀羅尼呪が、釈迦からの手紙かも…と思っていたのである。もちろん有頂天になった。その内容を未だ理解しきっていないにもかかわらず、受け取った気分でいた。見かけ通り小さい人間である。

 もちろん、構成2から5に関しても同じように何とか通し訳を済ませた。その内容は以下のようなものである。

【構成2】
輝く光を宣べ伝えよ 是非とも来るべきものである 美しく喜びに満ちたものである 
この教えに住止するものに 制を立てれば 永住する 
合することも 集めることもない 

【構成3】
あらゆる力が備わっている からかいや力比べに意味はない 無量のものなのである これ以上富むものがあるか いやない

【構成4】
無数に見えても 有数である 暴悪なものに対し 
香を持し 曜黒のような光で悪が断ち切られるよう祈り 
教えの根本を 順を追って述べる 
これはもっとも優れたものである

【構成5】
この人に於いて ここに於いて この人に於いて すべての人に於いて 
この人に於いて 
無我となれ 無我となれ 無我となれ 無我となれ 執われを滅しつくせ
既に 既に興っている もう既に興っている 既に興っているのである 
困難あって 色々あって 紆余曲折あって教えがこの国に立つのである
害を加えることは誰にもできない


 この時点で2013年。修正の必要な所がいくつも残っていることは十分わかっていたが、この段階ではこれが限界だった。
そしてその一年後、ちらっと一つの情報を得る。

‘’釈迦は呪文の類を否定していた__‘’

(え…なに?……ナニコレ)


参考文献:
法華経大講座 第九巻 
著者・小林一郎
発行者・株式会社 日新出版