「天然」とレッテルを貼られたあの頃

私は中学生くらいから、周りから時々「天然」と呼ばれるようになりました。これがすごーーーーく嫌でした。

「天然」と言われると、馬鹿にされていると思いました。何か発言をしたときに「やっぱ天然やなぁー。」と言われても、何が天然なのか分かりません。

「やっぱ」って何?

いつも天然発言してるってこと?

思ったことを言っただけなのに「天然」と言われても。ほんと、「天然」と言った理由を論理的に説明してくれ、と思ってました。

「天然」って言われること大嫌いです。「天然」って笑われても、勝手にレッテル貼られても、本人全く理解できません。ただ、話したいだけなのに、何を言ったら「普通」なのか分かりませんでした。

そこで、身につけた武器があるんです。誰かと話してるとき、

「そうなんや〜。」

「そう思う。」

「そうそう。」

「そ」を付けて同調すればいいんだと。そうすれば笑われないし、話も続く。

よっぽど気を許さない限り、自分の意見を言うなんて怖くてできませんでした。また「天然」と笑われるかもしれないから。相手の意見に合わせておくことが無難。

それでも、たまに「天然」と言われるから、また落ち込んでました。

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でもドイツに来て、少し変わりました。

ドイツは

「あなたはどう思う?」

めっちゃ聞かれます。

ドイツ語学校に通ってたとき、一人一人の意見を度々言わされます。

日本人のクラスメイトと、「日本人ってこんなん慣れてへんし、嫌ですよね。」と話して、やっぱり私は「そうですね」と答えました。

でも、本当はこの環境が嬉しかったんです。「右に同じ」と言うんじゃなくて、それぞれの意見が言える感じ。

それぞれの意見も「へー。君はそう考えるんだ。」で終わる感じ。

私は私の意見でいいんだな、と楽になりました。といっても、意見を言うときはやっぱり心臓バクバクしますが。

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「笑われたくない」

「馬鹿にされたくない」

ずっとそう思ってましたけど、

笑う人は笑うし、

馬鹿にする人はやっぱり馬鹿にするでしょうけど、

それでいいんです。

私には私の意見がある、それだけ。そして、たまに「スキ」って言ってもらえるありがたさとその奇跡。

note見てると、本当に色んな人がいて、色んな意見があって、色んな世界があるなぁと思います。

一体、私が目指してた「普通」って何やったんでしょう?

「普通」なんてもともと無かったんですよね。


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