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反省

情けは人の為ならず。この意味は頭では理解しているつもりでも、本当の意味で理解できているかといえば、どうなんだろうと思うのです。

施せし情は人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ
我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば長く忘るな
出典:[新訳]一日一言:「武士道」を貫いて生きるための366の格言集」
新渡戸稲造著

人にかける情けは、自分の満足のためにすること。けれど、人からしてもらったことは忘れてはいけないという新渡戸稲造の言葉です。

それをもっと深く諭してくれた方のお話です。
この世界には自分しかいないというのが、仏教の世界観です。(ちょっと乱暴な言い方です)
つまり、人の為にやったと思っても、実は自分の為にしていること。目の前に現れた人は、他者の姿をした自分です。自己犠牲という考え方は仏教にはなくて、自分がこの世界を作っているのだから、他者にしたことはすべて自分にしたこと。原因があって結果があり、その報いを受けるのもまた、自分であるということだそうです。

子どものためを思ってしたことも、親の自己満足でしかないし、子どもはそれを受け取ってくれただけで、親としてはじゅうぶんなんです。やるやらないの選択は子どもの領域です。
そこに期待をのせたり、恩を返してもらおうなんて、強欲も傲慢もいいところ。
子どもの将来が心配だから、自分が安心したいから、勉強させて、習い事をさせて、学校に行かせて、友達を親が選ぶ。
子どものためじゃなくて、親自身のためです。

そこを今世で抜けられない人もいますけれど、おそらく来世で抜けることができるのかもしれません。かと言って、自分が抜けられたかというと、甚だ心許ない限りです。
頭でわかっていても、腑に落ちたかどうかは、咄嗟の時にわかること。
自分の感情の反応がどのような振れ方をするか、その時に見極めることができるのだと思います。

本をたくさん読んで、セミナーに行きまくって、いいことはたくさん知っていても、それらが自分の身に消化されているのか、血肉になっているのかは、別の話です。
その人がどのような行動をして、どのような在り方をして、どのような生き方をしているのかが、何を言い、何を書いているのかよりも重要なのだと思います。

反省というのは、自分を省みて、過去に立ち戻って、そこから整えていくと教わりました。
過去から整えていくので、今の自分がより良くなります。
すると未来は、もっと素敵になります。

過去はクヨクヨと思い悩むものではなくて、過去に遡って、書き換えていくこと。デロリアンはどうやら存在するらしいです。
その話は、またいつかね。


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