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あなたは私

夏至の日に浄化の雨が降り注いだ日、1年間続けてきた學びが修了しました。
一年かけてゆっくりと、自分の観念が書き換えられたような學びでした。

節税とか、節約とか、節制とか、ちまちまとまとまろうとする自分の思考や生活は、果たして何のためなのだろうかと考えるようになりました。
税金を取られるとか、年金が足りないとかって、本当に自分の考え方なのだろうか。「お金がない」って本当だろうか。
私たちにはこんなにたいへんな未来が待っているって、本当なのだろうか。

ある意味本当なのだと思います。
たいへんな未来を思い描く人が多くなれば多くなるほど、その未来は現実となるだろうし、その未来の現実によって、利益を受ける人たちはウハウハするのだと思います。

今の自分の現実も、今の世界の現状も、過去の自分の、人類の思考によって顕現しています。
こんな便利な道具があればいいなと、50年前のアニメで描かれたようなものたちは今、普通に私たちの生活の道具になっています。
その昔、空を飛びたいと思った人がいたから、飛行機があるし、宇宙に行きたいと思った人がいたから、世界中に通信網が巡らされています。
この地球で何が起きていて、それは誰が願ったことなのか。

陰謀論的なことを考え出すと、ちょっとアレになるので差し控えますが、少なくとも今の自分の生活は、望んだとしても望まなかったとしても、過去の自分の思考と決断によって顕現しています。
食べ過ぎたとか、飲み過ぎたとか、運動しなかったとか、勉強しなかったとか。
今あるのは食べ過ぎた自分なのか、飲み過ぎた自分なのか、運動しなかった自分なのか、勉強しなかった自分なのか。
決断できなかったという行動をしたのも自分だし、行動しないという決断をしたのも自分です。

あ、悪いことしちゃったなと思っても、謝れなかったり。
あ、そのヘアスタイル、とても似合うねと思っても、口に出せなかったり。
あ、今日のコーヒーがとても美味しくできたねと思っても、無言ですすっていたり。
その積み重ねが今の自分の人間関係を作っています。

できない言い訳も、やらない理由も、本心は自分がいちばんわかっています。ダイエットも断捨離も運動も勉強も、やりたくない。なぜならたいへんだから。できない理由をもっともらしく述べたとしても、やりたくないからです。
美味しいものをたらふく食べたいし、運動するのはしんどいし、モノを捨てるのはもったいないから嫌なんです。この歳になって今更勉強するなんて、何のために?勉強したハナから忘れてしまうのに。

できない理由なんて、全部自分の脳みそがでっち上げたものです。
もしくは、権威ある誰かの、もっともらしい理由に乗っかったものです。
やりたくないから、その権威ある誰かの発信をキャッチしたわけです。

やるか、やらないか。
それだけのこと。
自分を大切にすることと、自分を甘やかすことはまったく違います。
やり過ぎは禁物だけれど、昨日よりも素敵な自分になりたいから、人は生きているんではないだろうかと思うわけです。

歳を取ることは、ネガティブだと思う観念も手放しました。
物忘れも、目が見えなくなるのも、耳が遠くなるのも、モノゴトを厳選しているからと思うようにしました。
必要なことだけ覚えていられる脳みそに、見たいもの、聞きたいことだけを見聞して、情報を取捨選択できるようになった自分の身体に感謝です。

若い頃は、たくさん動いて、たくさん見て、聞いて、経験を積めば良いと思います。
還暦を過ぎた次のサイクルは、二巡目ということで、しっかりと観て、ちゃんと聴いて、大切なことだけを記銘して、人生を充実させていきたいし、それは何のためかというと、貢献のためだということに気がつきました。

自分の身体を大切にすることは、自分の人生と社会を大切にすることです。
自分の身体を大切にすることで、社会的には医療費を抑制できるし、介護保険も使わずに済むかもしれません。
元気であれば、幾つになっても働くことはできるし、納税もできるし、誰かの役に立つこともできます。
誰かの役に立つことが、この世界に生まれてきた意味なのではないでしょうか。

みんな裸で生まれてきて、裸であの世に旅立ちます。
その間に、食べるものも、飲むものも、着るものも、必要はすべて地球から与えられて、最後はその身体も地球に返して、また旅立ちます。
残るものは、経験だけ。
どんな経験をしたのか。どれだけ人の役に立ったのか。
どれだけの人を幸せにしたのか。救ったのか。

どこから来て、どこに帰るのか。
帰った先はどうなるのか。
それを思うとき、他者貢献というのは、自分のためにすることなのだということに、気がつき始めました。

その話はまた今度ね。



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