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法律婚20年を迎えて

20年前のあれこれ

私達夫婦はこの9月で法律婚して今年ちょうど20年となった。プライベートなことなのでわざわざ書き記すこともないが、20年前の9月はアメリカ同時多発テロ事件が起きたこともあり(私達が婚姻届を提出してちょうど1週間後だった)、ニュースで20年間のできごとを見るにつけこの間に生じた世界の変化に改めて驚いている。


法律婚した経緯

同居を始めた頃は選択制夫婦別姓が認められるまでは事実婚でもいいよね、と二人の間では合意形成していたが、双方の親からの圧力や万が一のことが起きた際に法律婚の方がメリットが大きいこともあり、1999年頃「選択制夫婦別姓が認められたら即座に結婚する、認められていなかったら21世紀の最初の年の由美の誕生日に法律婚する」と双方の親に通知し、結局期限となった2001年の9月4日に婚姻届を出して9月29日に結婚式を挙げた。


どちらの姓にするかも我が家は民主的に決めようとじゃんけんをして勝った方の姓を選び(結局夫方の姓を選択)、改姓手続きや結婚式の準備に追われる月となった。

正直法律婚したことは後悔はしていないが、夫は改姓手続きを何一つしなくて済んだのに、こちらはあなたは今までのあなたではなくなりました!とあちこちで宣告されているようで地味にダメージを受けた。

色々な事情があるとは思うが、選択制夫婦別姓や同性婚合法化については整備されることで利益を得られる人が少しでも増えてくれれば、と思っている。

法律で守られているというのは相当なメリットで、例えば法律婚20年以上の夫婦の場合相続の優遇措置がある。

結婚する自由も結婚しない自由もあって、それを選べることが豊かさだと個人的には思うので、結婚しない自由についてももっと寛大になるといいのでは?とも考えている。

冠婚葬祭の意味

核家族化で親族が集まる機会は以前から減っていたが、コロナ禍で冠婚葬祭が一気に縮小されたことでなおのこと親族が顔を合わせづらくなった。

両親の代で東京に出てきたから私自身は田舎は子どもの頃1年に数回出かけていたが(それも次第に減少した)、親戚づきあいも何代も住んでいるような家に生まれ育った人に比べたらずっと少ない。

披露宴の際に撮影した親族写真を見るにつけ、自分につながる人たちが一同に顔を合わせる機会はあと何回あるだろう?と改めて考えてしまった。

当時はただただ面倒くさいと思っていたが(これは自閉症スペクトラム症ならではの特性も影響している)、コロナの影響が長期化する様子を見て冠婚葬祭というのは共助のセーフティネットとしての意味や役割もあるのだな、と感じている。

当初は双方の親兄弟だけ招いて小さな式を挙げて食事会でも、と思って両親に打診したらどちらの親からも「だめよ、そんなの!呼ばなきゃいけない親戚もいるんだから!!」と言われ、結局親たちの圧力に押された形でホテルでの挙式(人前式)と披露宴となった。

正直ゲンナリしたが、人生で大っぴらにこんな格好ができることはもうないだろう、と途中から半ば開き直り、親のリクエストにもある程度応じながら1年近くかけて準備した。

結果として結婚式と披露宴をしたことで双方の両親もようやく安心したようで、親戚にも顔が立てることができたと内心ホッとしたらしい。

個人的には結婚式って人前で宣言するし、準備も大変だったから簡単に別れてたまるか!という離婚抑制システムなのかも、とどこか覚めた視線で眺めていた。

冠婚葬祭というのは人生の流れの中での気持ちの区切りとしての意味もあるだろうから、あながち間違いではないのかもしれない。

発達障害当事者カップルの先駆けとして

今でこそ発達障害の当事者同士で結婚した話はそれほど珍しくないが、私達が出会って一緒に暮らし始めた頃は研究者たちも驚くようなレアな事例だった。

今でも子育て中の親御さんたちから「うちの子は将来どうなるのでしょうか?」と心配の声を何かと耳にするが、大成功とは言えないにせよ、結婚して助け合いながら何とか暮らしている当事者もいますよ、とは折に触れて伝えていけたら、と思っている。

取り敢えず次は銀婚式を目標に頑張ろうとは思うが、それまでに新型コロナが収束してほしいと願うばかりである。


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