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【不登校】校長先生と。

ツイッターだと文字数が足りないため、noteで今日あったことを綴ります。
不登校1年、次女のこと。

***

今日、放課後登校をしてきました。
図書室で借りていた本を返却するため(あと提出物もろもろ)。

先生を呼び出してもらう前に、運動場から声がしたので少しだけ立ち寄ってみたら、校長先生が放課後デイらしき生徒たちと運動をしている様子が見えました。

校長先生、元気だなって思いつつ事務所へ向かい、担任と合流し、図書室へ。

図書室で本を返却していると、校長先生が来られました。
わたしたちの姿が見えたので立ち寄ってくださったとのこと。

「元気そうで良かったです。」

校長先生としばし近況報告。
そのなかで校外学習の話が出てきました。

校外学習、行けなかったんです。
ものすごく行く気になっていて、楽しみにしていて、前日にリュックもお菓子もちゃんと準備して、本当に行く気満々でした。

前日に行われた準備のための授業も保護者同伴だけど出席して、わたしも先生も行くものだと思っていたんです。
(詳しくはこちらの記事にまとめています。)

でも、行けなかった。

そのときのことをおそらく気にされていたのかもしれません。

「あのとき、学校でこういう対応をしてみたら良かったかもしれませんね。」と。

この言葉を聞いて、あらためてずっとこの校長先生でいてほしいなと感じました。
なぜかというと、その一言で学校側は対応を変えられる、変える準備がある、という風に受け取れたからです。

そして、そんな風に一歩引いて様子をみてもらえているというところに、心地よさも感じます。
わたしは、ですけどね。

「学校には来れそうですか?」と言われることも、聞かれることもありません。
廊下ですれ違う先生たちも、「こんにちは!元気そうだね!」と声をかけるだけでそれ以上はなし。

オンライン学習教材「すらら」を使った出席の取り扱いも可能にしてくれたりと、こちらの「こうしたい。」という部分に建設的で具体的な話し合いをもってくれた先生なので、わたしも安心していられるんですよね。

校長先生だけではなく、担任、保健の先生、その他の先生もスクールカウンセラーも、"自分たちがどう思うか"ではなく、"次女にベストなこと"を一緒に考えてくれていると感じています。

個人的な「こうしてほしい・こうしなければいけない」というものをぶつけられない。これって不登校の子どもを持つ親からすると、とても安心できる存在なんじゃないかと思うんです。

もちろん、子ども自身も。

あらためて思います。
不登校になったからといって悲観する必要はない。
そして、人に寄り添うってこういうことなんだなってことを。

そんなことを思いつつ、迫りつつある3月の人事異動。
今年ほど、気になる年はないかもしれない。
願わくば、現担任も校長先生もスクールカウンセラーも、変わりませんように…。



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