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アメリカかぶれな小学~中学時代

アメリカ人一家との出会い:

ある日、ようちゃんと近所を歩いていたら、アメリカ人一家がバドミントンをしていた。

私の育った街には米軍基地があるので、近所に米軍に勤めるアメリカ人家族が住んでいることも普通にある。私が出会った家族も、お父さんが軍人で、お母さんと私と年の近い姉妹が2人の米軍ファミリーだった。その姉妹の妹の方がコリーと言う名の子で、お人形みたいに可愛らしく、とても人懐っこい子だった。私たちが通りかかった時に手を振って来てくれたのもコリーだった。

コリーがジェスチャーを交えながら、一緒にバドミントンをやろうと言って来てくれたのがきっかけで、私達は毎日のように一緒に遊ぶようになった。

英語なんて全くわからなかった私たちがどうやってあれだけ一緒に遊べていたのか不思議だが、子供が遊ぶのに言葉は壁にならないのだろう。バドミントンをしたり、自転車で2人乗りして駄菓子屋さんに行ったり、コリーの部屋のベッドの上でジャンプしてお母さんに怒られたり、色んなことを一緒にした。

私が初めて学んだ英単語は”Pencil”だった。何か紙に書いて伝えようとしてたのかな?なんでPencilなのか謎だが、とにかくそれがはじめて覚えた単語だった。もちろんスペルはわからず、「ペンソー」という音で覚えた。

仲良くなってしばらくして、私が実家の周りで遊んでいたら、コリーのお姉さんのキムがうちに何か伝えに来た。もちろん英語しか話せないキムが私に何かを一生懸命に伝えようとしているのだが私は全く理解できず、キムは諦めて残念そうに戻って行った。

その後聞いた話によると、うちに来た後キムは他の知り合いの家に行って、自分が通っている米軍基地の中の学校に、子供たちを招待したいと伝えたらしい。

あ〜、私を誘ってくれようとしてたんだ!
それを聞いて私は物凄く悔しかった。

私も米軍基地の学校に行ってみたかった!
アメリカ人の子達と交流してみたかった!
私がキムの言っていることを理解できたら…。

この時は本当に悔しくて、英語がわからない自分に腹が立った。

この悔しさが私の英語学習への原動力となり、英語をマスターして、どんな事も聞き取れるようになろうと決意した。

その後もしばらく遊んでいた気がするが、コリー達が米軍基地内に引っ越すことになり、そこからはほとんど遊ばなくなってしまった。

それでも私の中のアメリカに対する憧れと英語を習得したい気持ちは枯れることなく、ひたすら英語を学び、アメリカのドラマを見まくり、アメリカ人のアイドルのファンになった。アメリカ人歌手の曲も何度も繰り返し聴き、発音をマネして唄ったりした。思いきりアメリカかぶれだった。

小学5年生から英語の塾に通い、中学2年の時からは米軍基地内での英語レッスンを受けることになった。その時に知り合った先生がまた素晴らしい人だった。

彼女はまだ19歳だったが、結婚していて6ヶ月の女の子がいるお母さんだった。とても綺麗で19歳と思えないほど大人っぽかった。

最初はようちゃんと2人でレッスンを受けていたが、中学に入ってから仲良くなったあおちゃんが加わり、3人でレッスンに通うようになった。

最初はめちゃくちゃ緊張したが、徐々に打ち解けてきて、なんとなくお互いの言いたい事はわかるようになってきていた。

先生の方も私たちのことをわりと気に入ってくれたようで、彼女は私たちに娘のベビーシッターを任命するようになった。今考えると、この先生もまだ知り合って間もない頼りない中学生たちによく娘を託してくれたと思う。
でもそれだけ信頼してもらえてたことは嬉しかった。

アメリカ人の子供って本当にお人形のように可愛い。その子を8ヶ月くらいから3歳くらいまでベビーシッターした。その時に生まれてはじめてオムツ交換をしたり、食べ物を食べさせてあげたり、抱っこしたり、子育てというものを少し経験させてもらった。

私は子宝に恵まれなかったので、短い間だったけど、ベビーシッターの経験をさせてもらえて良かった。今思い出しても楽しかったな。

その子が3歳になり、反抗期に入った頃に先生は確か帰国してしまった。
私が高校時代にアメリカ留学している間に帰国してしまったので、連絡が取れなくなって残念だったが、Facebookが普及し始めたころ、運よく見つけることができ、再び繋がることができた。

私の中学時代はとにかくアメリカと英語で頭がいっぱいだった気がする。
親友になったあおちゃんと、将来アメリカに住もうと夢を語っていたことが懐かしい。

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