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『題意』って何?

数学の証明でよく「題意が示された」や「題意より」という言葉を見かけます。私自身も「題意が示された」という言葉を使います。ただし、私は「題意より」という言葉は使いません。この場合は「仮定より」を使います。

先日、

『「題意」という言葉を使うのを止めませんか?』

というタイトルの PDF ファイルを見つけました。(以下、リンクです。)

言われても私は止めるつもりはありませんが。(笑)

理由を述べる前に、「題意」という言葉の由来を調べた方がいらっしゃったので、そちらもリンクしておきます。

私はこの方のスタンスに近い。

まず「題意」とは何かですが、辞書で見ても「問題の意味」程度のことしか書かれていません。誤りではないのですが、私の解釈は「ここで示されるべき命題」です。それ以外の意味では使っていません。

(『「題意は示された」の出典を探せ』の中のQ.E.D の日本語訳から来ているという説はあり得ると思います。)

辞書の通りに「題意=問題の意味」とすると、「題意より」という使い方も正しいのかもしれませんが、私には「題意より」と「題意が示された」を両立する使われ方が気持ち悪いので、上記のように解釈しています。

(注) 「題意=問題の意味」としている場合、「命題を読めば何が仮定で何が結論か分かるだろ?」というスタンスで「題意」という言葉を使っていることになります。しかし、数学(というより、科学全般)において表現は論理的であるべきであり、相手に判断をゆだねるような表現は慎むべきであるので、私はその解釈に気持ち悪さを感じます。

さて、「ここで示されるべき命題」を意味するならば、「題意は示された」は「命題は示された」でもいいのではないかと思うかもしれませんが、実は不都合が多い。というのも、証明の中ではいくつもの命題が登場することも珍しくない。その場合、命題という言葉では区別がつけられません。

示すべき命題をそのまま記述するという案もありますが、帰結部が長い場合にはそれも不都合。(短い場合には「~であることが証明された。」「~であることが示された。」と書くことが多いです。)

「題意」という言葉は非常に簡潔で、何を示しているかが明確なので、使い勝手が良いのです。だから、使うことを止める気はありません。

前回の記事「円周率ってなに?」の中でも「題意が示されます」という形で「題意」が出てきます。あえてその部分を引用します。

ところで、sin θ / θ → 1 (θ → 0) の証明の肝は、
        小さい正の θ に対して sin θ ≦ θ ≦ tan θ
が成立することであり、これが言えると θ が負のとき(かつ |θ| が小さいとき)は sin(-θ) ≦ -θ ≦ tan(-θ) が成立するため、θ の正負にかかわらず |θ|が小さいときに
             cos θ ≦ sin θ / θ ≦ 1
が成立し、cos θ → 1 (θ → 0) からはさみうちの原理により題意が示されます。

もちろん、題意を「sin θ / θ → 1 (θ → 0)」で置き換えても意味的には問題ありません。しかしながら、読んでいただければ分かる通り、もし置き換えるならば一文の中で「sin θ / θ → 1 (θ → 0)」という命題が二度登場することになります。(実は長い一文だった!)

文の和洋を問わず、同じ表現を繰り返すことはあまり良いこととはされず、避けられるべきだと習っているはずです。だとすると、題意を「sin θ / θ → 1 (θ → 0)」で置き換えることも避けられるべきです。

題意を命題と置き換えることも可能です。この文の中で命題は5つも登場しますが、意味から「sin θ / θ → 1 (θ → 0)」だと分かるには分かります。ですが、題意とする方が何をさしているかがはっきりします。

これら以外に代わりとなる言い回しがあるのかもしれませんが、少なくとも私には見つからないので、「題意が示された」という表現を今後も使いたいと思います。

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