ペニシリンの悲劇

 SNSの普及によって「シェアする」という考えが広まったことに、原因の一つがあるのでは、と考えているのですが、
   特許 → 独占 → 意地汚い奴ら
という連鎖(拒絶)反応をする方々がいらっしゃいます。
 こうした反応をされる方は、きっと特許制度ができた頃からいらっしゃるのでしょうし、
医学をはじめとするアカデミック分野の方には、(まだ)数多くいらっしゃいます。
 そこで、「独占=悪」という誤解を解くために、「ペニシリンの悲劇」という実話をご紹介します。

 イギリスのフレミング博士が発見し、医薬品で有名な「ペニシリン」ですが、
「特許を取得しないので、誰でも良いから早く作って欲しい」とフレミング博士は願ったそうです。
 しかし、事実は、フレミング博士の崇高な意図には版下方向へ進みます。
すなわち、特許を取得しなかった、ということが原因で、薬としての製造販売は約10年遅れた、と伝えられているのです。

   ペニシリンが医薬品として出回るまでに、時間が掛かってしまったのはなぜか?

 「薬」という人間が口にする製品に限りません、モノの製造販売には、多額の投資が必要です。原理や発明という荒削りな状態から、品質が一定(安定)した大量生産 にこぎ着けるためです。
 しかし、特許が無いということは、誰も独占的にライセンスをしてもらえないということです。とすると、世の中で必ず必要とされると分かっている製品でありながら、投資をして大量生産ができるようになったとしても、同じように投資したライバル会社に、製品価格や品質で勝てないリスクがあります。そんなリスクのある投資なんてできない・・・
 イギリスのみならず、どの製薬メーカも、なかなか大量生産に着手してくれませんでした。

 さて、フレミング博士の報文を読んだ二人の科学者、オーストラリア人のハワード・フローリーとオックスフォードのグループを指揮していたエルンスト・ボリス・チェーンがペニシリンを精製し効果的な製剤にする方法の開発に成功します。
 そして、フレミング博士の発見から約10年を経て米国の製薬会社が、ペニシリンの大量製造技術を開発します。更に、その製造技術についての特許を所得しました。

 その結果、どうなったのか?
 自国の博士が発見したイギリスでありながら、医薬品としてのペニシリンは、米国の製薬会社から(特許料込みの価格で)輸入する羽目になったのです。

 フレミング博士は、「独占するつもりなんてないから、誰でもいい、早く作って欲しい」と願ったのです(特許の取得手続が面倒だった、という消極的な理由を伴っていたことも予想できますが)。
 しかし、投資リスクを畏れた製薬会社は、リスクを冒すことに躊躇し、時間だけが経過してしまった。そして結果的には、ペニシリン薬としての製造は、第一次世界大戦に間に合わなかった・・・
(意地の悪い言い方をすれば、フレミング博士は、米国の製薬会社を儲けさせ、反射的にはイギリスの国益を損ねました。 その後、ノーベル生理学賞は受賞しましたが。)

 特許を取得することによって「独占できる」ということが、資本主義社会で「ヒトのためになる製品を届ける」=ビジネスを進めるためには重要なのだ、
ということです。

 さて、フレミング博士は、どうすれば良かったのか?
 まずは、イギリスで(できれば他の国でも)特許を取得すること。
取得した特許について、イギリスの製薬メーカへライセンスすれば良い。
(儲けるのが悪だ、と考えるなら、ライセンス料を無償にすれば良いだけのこと)

 ライセンスを受けた製薬メーカは、他のライバルメーカはペニシリン薬を製造販売できない(特許権侵害となるから)ので、安心して(大量製造のための)開発への投資ができる。
結果として、ペニシリン薬は、早く世に出回ることとなったはずなのです。


 「特許=独占=悪」との先入観を抱いている方々(お医者様、大学の研究者など、そして前述したようにSNSによる「シェア文化」に浸かっている方々)に知って頂きたいです。

 新型コロナウィルスによって、世の中が激変します。
その時代だからこそ、世の中に貢献したい次なるフレミング博士には、
お金儲けに興味が無いとしても、特許を取得しなければならない、
ということを肝に銘じて頂きたいものです。

   以上

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