1「 恋愛したいのに、できない」 私はちゃんと恋愛をしたことがない。こんな事を恥ずかしがらずに言い切ることができるのは、恋愛事情の息苦しさは消えないけれど、恋愛以外の生き方が世の中に知られ始めた時代だからだとは思う。私は恋愛に興味がないわけではないのだが、何故だか機会が少なかったり、家庭の事情だったり、恋愛の時間がなかった。ようやく重い腰を上げ「ちゃんと恋愛しよう!」と思ったのが、26歳の頃だ。今考えても遅い青春だ。 「さあて、恋愛するぞ!」と思ってみても、、正直うまく
数年前の22歳の春、私はロウ・イエという監督に出会う。 婁 燁 (ロウ・イエ)とは、中国・上海出身の映画監督であり、脚本家である。 この監督の作品に出会い、私は中国映画にハマるきっかけとなった。 まず、ロウ・イエの作品に出会ったのは映画配信サービスで次に観る作品を探していた時だ。何となく「二重生活」(2012年)というタイトルが目に入り、ほどなくして「ふたりの人魚」(2000年)のサムネイル画像に惹かれた時にはもう、あと9日で配信終了の文字があり、これは観るしかないと私を突
月の模様はよく「うさぎが餅をついている」とか、 「女性が読書をしているようす」どとか言うけれど わたしは「母の胎内にいる胎児」に見える
風の音で目が覚めた。4:43。まだ眠れるなと思い少し安心する。 少しだけ風を感じたくなったので、体を起こしてふんわりとカーテンを開けて、半分程窓を開けてみる。外の風は冷たくてツンとしていた。やはり冬の天気は生きた心地を教えてくれる。薄暗い部屋の中でぼうっとしながら、「もう起きてしまおうか、いや、一服しようか」そう思いながら手元に煙草を手繰り寄せ、一服した。街が動き出す寸前の時間の中で、ひとりだけのこの瞬間は寂しいようで寂しくない。二本目の煙草を手に取ったあと、咥えながら台所に
僕は君の素性を知らない。君も、僕の素性を知らない。曇天の日、僕は詩を読んだ。あらゆる所で、あらゆる時間で、あらゆる機嫌で。もうじき私は死ぬと思う。何故そんなことを口走ったのだろうか。それは不思議と違和感はなく、直感的だった。
夢、夢、夢の終わりはまた夢 はじまりも終わりもない 夜、夜、夜の終わりもまた夜 ぱれえどは始まったばかり きみは君が見えない ぼくも僕が見えない
お酒を飲んだら涙が流れるようになったのはいつからだろう。酔いが回った顔で笑ってみせても、ドビュッシーを聴いてみても、死にたいと口に出して言ってみても、ただ苦しくなるだけで、死ぬことなんて出来やしなかった。 マガジンラックはもうずっと埃を被って、好きだったファッション雑誌の廃刊の知らせがいつだったかも覚えてはいない。 最後まで読めなくなった小説が枕元にいつもあるのは、自分が無くなるのが怖いからだ。 聴こえるすべての音は私を苦しめた。 目に見えるものたちは汚らわしかった。
あなたはこどくね そう、孤独な女(ひと)は言う 揺れた髪は シャンプーの匂い きょうも何処かで シャボンは飛んで 揺れた髪は シャンプーの匂い ここは黄昏の街
無邪気な笑顔は まるで子どものように 白いスワンは しずかに眠る 高く上りつづける 黒い煙りに 夢などのせて 白いスワンは しずかに眠る
わたしはコンテンツ チルド食品愛してる わたしはコンテンツ 今日もどこかで ファッション・スナップ わたしはコンテンツ 見えない壁で 涙は見えない
あいあいあいされたくて いらない涙を流してみても うらぎるだけしかできない えいがみたいな おんなのひとになれない かのじょは言う きれいな空を見たかったと くらやみをも照らす けさの、朝焼け こんなあたしだって 朝焼けを見るために生きていたい
今、ブラウンの色彩が 私を嫌うだろう スクリプトは いつか鮮やかに再呼吸するための記憶さ
あなたとわたしはみえてるの ミエナイアシタはいつくるの もしもロケットが飛ぶのなら あなたとわたしはみえてるの
刹那的に追いかけたノイローゼは、 ロードムービーに殺されて砂漠を駆け巡り。 サルヴァドールは、 歌を歌いながら原宿を歩いている。
枯れない薔薇と、愛と勇気と夢と希望をひとつ残らず持った主演女優賞候補は フィクションのサイド・ストーリー 終演間近の映画によくあるエピローグでも、 寝過ごしたエンドロールでも描けない、 あたしとあなたのリアル・フィクション絶賛進行系サスペンステロップが無くても プロローグには4本の薔薇を添えて いつか死ぬそれまでに燃やしてしまえば、 バッドエンド的ジ・エンド