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金子みすゞの詩「薔薇の根」が好き。

きれいに薔薇の花を咲かせた知人から、先日、写真が届きました。

家の庭中に薔薇を植え、丹精に育てている方です。

薔薇を見ると、いつも、金子みすゞの詩を思い出します。

金子みすゞは、「大漁」の詩などが有名ですが、私が好きなのは、「薔薇の根」です。

はじめて咲いた薔薇は、
紅い大きな薔薇だ。   
   土のなかで根がおもう。
  「うれしいな、
  うれしいな。」

二年めにゃ、三つ、
紅い大きな薔薇だ。
   土のなかで根がおもう。
  「また咲いた、
  また咲いた。」

三年めにゃ、七つ、
紅い大きな薔薇だ。
   土のなかで根がおもう。
  「はじめの花は
   なぜ咲かぬ。」

(『永遠の詩 金子みすゞ』より引用)

以前、薔薇を育てたことがあります。

結構大変で、カビがつかないように、頻繁に薬をまいた覚えがあります。

苦労した分、初めて咲いた時には、その美しさや香りに心が満たされました。

そんな薔薇のように、私たちが人生で初めて経験する幸せは、心の奥底に深く刻まれるものだと思います。

「うれしいな、うれしいな」の詩の喜びは、私たちが経験する初めての喜びを表しているように感じられます。

薔薇がきれいに咲くのは、「薔薇の根」の苦労があってこそでしょう。

根っこは、毎日、誰からも見えない土の中で、一生懸命、水や養分を吸い上げ、つぼみに送り続けています。

長い時間をかけ、手塩にかけて、無事に薔薇が咲くことを念じて育てているのです。

花を守り、荒らされないように、茎にトゲを生やし、周囲からうとまれた時もあったでしょう。

薔薇を一つ咲かせるのも、大変な苦労の賜物です。

しかし、2段目になると少し様子が変わります。

同じような薔薇が何度も咲くと、花の数や、咲く頻度を周囲と比べるようになります。

初めて薔薇が咲いた時の、まっすぐな喜びを忘れ、「また咲いた、また咲いた」と、前よりももっと多く咲かせるところに力を入れます。

こうして、数や量に心奪われていきます。

そして、3段目。

前よりもたくさんの薔薇の花を咲かせたのに、喜べない。薔薇の根は、ふと「はじめの花はなぜ咲かぬ。」と疑問を覚えます。

初めて薔薇が咲いた時のような、みずみずしい感動が感じられない自分に、「なぜ?」と問うている薔薇の根の問いに、共感します。


初めて経験した喜びや成功の感覚を次第に忘れ、繰り返しの中でその価値を失っていくのかもしれません。

初めての達成感や賞賛に自信を得ても、その喜びや満足感は次第に薄れていきます。

「もっと給料アップを」「もっと高い地位を」と、過去の自分や周囲との比較に心を奪われ、いつの間にか、苦しんでいる自分を、「薔薇の根」の詩は、思い出させてくれます。

あのわずかな木立が自分のものではないということが、世界をわがものとする願いをそこねている

ゲーテ『ファウスト』

あらゆる学問を修めた揚げ句、その全てに絶望した主人公ファウストは、悪魔のメフィストテレスと契約して、欲望の遍歴を重ねます。

第2部で、皇帝に仕え、国難を救ったファウストは、与えられた海辺の領地を開墾し、運河を通し、港を造り、豪華な宮殿を建て、地上の楽園を楽しむことができるようになります。

もちろん、メフィストフェレスのおかげです。

しかし、満足することを知らないファウストは、老夫婦の住む丘の上の土地が欲しくてたまらないのです。

われわれがいちばんつらい思いをするのは、ゆたかさのなかにありながら、自分に欠けているものを感じるときだ。

ゲーテ『ファウスト』

ほとんどの不安や不幸は、欲から生まれる、と教えてくれます。

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