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近藤康太郎さんの1日ライター講座

近藤康太郎さんのライター講座に1日、参加した私は、終了後、部屋をそっと出た。質疑応答が終わり、まだほとんどの人が会場に残るタイミングで。

黙って、東京駅に向かう。山手線の座席にちょこんと座り、ボーッと車内映像を眺める。待合室に着くと、何度も自動販売機でペットボトル飲料を買い、飲み干した。

スパーリングで、デビューしたてのボクサーが、チャンピオンからボディーブローの洗礼を受けたような気分だ。

早朝に起床した時も、富山駅で北陸新幹線に乗った時も、会場に到着した時も、ワクワクしていた。「北陸にもぜひ、講座に来てくださいね」なんて、都合のよいお願いまで考えていた。

帰路は、打って変わった気分。

良くも悪くも、近藤さんの講座に、いい意味で、「打ちひしがれた」のだと思う。

ライターとは「書く人」だと聞いた。この気持ちを、note第1回に残しておきたい。


講座は、本を書くための「五箇条の御誓文」をテーマに進んだ。

近藤さんのナラティブは、落語の江戸っ子のように歯切れよく、ミュージシャンのようにおしゃれ、ハードボイルドの探偵のように型破りで、哲学者のように示唆深い。

休憩もほとんどなく、魚雷のような5時間だった。

他人のエピソードを記事にするのが仕事の、新聞記者の日常を聞ける場所は、近藤さんの講座ぐらいだと思う。体験談に、講座中は何度も爆笑が起きた。内容を忘れないよう、ここに書いて、心に刻みたい。

1.調べれば書ける

「徹底的に調べれば、何を書くべきかが見つかる」。
大宅壮一文庫、作家の索引付き全集、学術論文、図書館、時間の許す限り調べるのが「売文家の矜恃」だ。調べれば、見落としていた必須文献も拾えるし、誰も書いていないことが見つかる。

怠惰な心根に、いきなり一撃を食らう。

2.調べたことで書くな

調べるのは大前提だが、データは鮮度が命だから、足が速い。
調べたデータを本に書けば、すぐ、古くなる。
データは「腐葉土」であり、そこから咲いた「花」こそ書くべきこと。
「花」とは、そこから何を考えたのか。
「妄想」であり、自分の中から生まれた「ワールド」である。

「データで書け」をたたき込まれ、原稿に向き合う者にとって、逆説的で、目からうろこである。

3.注文なく書き始めろ

「平積みの本を眺めてニッチを探せ」と言われるが、それでおもしろいの?
よく生きれば、考えるし、「これを表現したい」という燃えたぎる妄想が、必ず自分の中から生まれる。
だから、何度も「大ぶりしろ」。
何万字も書いて、没になるのを恐れるな、みみっちい考えするな、本当に書きたいことを書け、「異常な人」を世界は見逃さない。

小ぶりでまとまった文章しか書けない自分に、厳しい話だ。

4.頭に目次、心に花束

本とは目次である。目次を作れ。
手持ちのネタを並べて、これができていないと、書くべきことを浮きぼりにする。
目次を片手にして、寝ても覚めても目次を考えろ。
起承転結で材料を並べ、文章を書く「地図」を作れ。
地図ができてからが勝負。
地図をよく見て、文章が「転」がっているかを考えろ。
読み直し、関係資料を当たり、時間があれば再取材。
自分が驚く記事を書け。

それがサービス業かと知らされた。
減量ボクサーのようなストイックさに、ため息をつく。

5.本を読め

本を出したいという人に限って、本を読んでいないのでは。
古典を読む人は、「本を出したい」と言わず、「最近、こういう問題意識を持っているんですが」となるはず。
本を出したいと平台を見てニッチを探すより、読者を信頼して、妄想を膨らませるほうがいい。
命をかけて、自分の納得できることを書いたなら、読んで、「人生変わった」という人が出てくる。
自分の過去も折り合いが付けられるようになるし、未来にもメッセージを投げかけることができる。

古典を読み続け、救われた近藤さんだからこそ、本の力を信じているし、本に命をかけるのだと感じた。
リストに沿って本を読み始め、ドストエフスキーや森鴎外、アリストテレス、詩を手に取るようになったばかりの自分は、入り口に立ったばかりだ。

グルーヴが文章にあふれ出る

講座の合間や終了後、質疑応答の時間が設けられた。
途中、近藤さんから、「ライターは当てられたら、何か言わないといけない」と言われ、頭が真っ白になる。
過去の、東北から来たライターの方の熱意を聞かせてもらう。
いい質問が続出し、自分はこの講座に参加した時点で、心の準備ができていなかったと痛感した。

中でも、心にコツンと響いたのが、「リズム感」「グルーヴ」に関する話だ。

ライターとは表現者、アーティストである。

「あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい」。『草枕』の一節を引き、アーティストの定義を聞かせてもらった。

質疑応答で、「音楽がないと、ものを書けない」「グルーヴに乗るとは、曲が見つかるということ」と聞き、メモをとる手が止まる。

ああ、この人は、様々な音楽が肉体に刻まれていて、それが文章という形であふれ出るのか、と思った。

以前の講座で、「面白い文章とは何か」との質問にも、近藤さんはミュージシャンになぞらえて、「メロディー」「テクニック」「キャラクター」「オリジナリティ」と答えてもらったと思う。

縄文時代から、音楽に乗って人は踊っていた。太古の昔から人の心を揺り動かすのは、リズムであり、グルーヴだと思う。

音楽の聞こえる文章、の秘密は、ここにあるのではないか。

帰りの新幹線で、気分転換にJリーグの試合動画を見た。一流選手の芸術的なパスも、ドリブルも、すべてはリズムであり、グルーヴである。

一流の人は、人の多くが気持ちよく感じるリズムを知っている。

リズム感のない私は、絶望である。

そそくさと帰りたくなった、理由も分かった。本日の部分は、真似できないのだ。

一流のミュージシャンの手ほどきを受けて、初心者が、ギターをすぐに弾けるようになるはずがない。

でも、一流の素晴らしさ、楽しさを、感じることは、できると思う。

真似できないことは、ダメなことじゃないはずだ。

落語の弟子は、師匠を徹底的に真似するという。どうしても真似できないところが、その人の持ち味だそうだ。

私の、私ならではのリズム、グルーヴが、きっとあるはずだ。

また、頑張ろうと思った。

近藤さんは、アランかもしれない。

最後に、余談だが、近藤さんの新刊『Work Is Life 宇宙一チャラい仕事論』について言いたい。

「毎日をご機嫌にする技術」と帯にあるが、これは、フランスの哲学者・アランの『幸福論』を近藤さんのナラティブで、書き改めている本なのだと思う。

引用にはどこにもアランの名前はないが、

「様々な物事を感じ取り、行動する。これこそが大事なのだ」
「どんな仕事であっても、自分の意思によって決断を下せる時は楽しい」
「もし簡単にオリンピックのメダルが手に入るとしたら、誰が欲しがるだろうか?」
「人に従うのではなく、自ら進んで行動することに楽しさの本質がある」
「学者や芸術家であることの楽しみには終わりというものがない。理解が進むほど楽しみが増えていくのだ」
「幸福は自分の手で作り出さねばならない」

『幸福論』

などの『幸福論』の言葉は、そのまま、近藤さんの文章と重なる。

近藤さんは、日本のアラン、なのかもしれない。


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