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“つらいのは君だけじゃないよ”?


お久しぶりです。前回からまたしても時間が空いてしまいました。


とまあ、それはおいといて、


「つらいのは君だけじゃないよ」


このことば、とってもチープじゃないですか?
どうしてここまで蔓延っているのでしょう、まったく解せません。

むしろ、つらいのは君だけ、と言ってもらったほうがまだましです。
だって、つらいことは見ず知らずのあなたに理解される必要なんてないし、わかったような気になられてしまうと尚更腹が立つ気がします。


とここまで少し語感を強めてお話してしまいましたが、とくに元となるできごとがあったわけではございませんので、お気になさらず。


ただずっと思っていたんです。
いま、自分がつらいことと他人がつらいことってまったくの別物です。
それなのにどうして、それが励ましの言葉として使われるようになってしまったのか。



もちろんそのフレーズを使っている人に悪意がないことは重々承知していますが、それにしても気になってしまいます。
Twitterなどを見ていて、こうしたリプを送っているアカウントを見つけては、頭を抱えています。(杞憂ですが)

そしてこれは持論なのですが、人間って何者かになろうとするじゃないですか、(思春期特有ですか?)
基本、何かにひとくくりにされることってあまり喜ばしくないことだと思うのです。
主語を大きくしすぎて叩かれている方も、しばしば見かけますし。


そう考えると、まったく励ましの言葉や慰めの言葉にはならないと思うのです。

うーーーん、なんだか書いてて勝手に心配になってきました。この感覚、マイノリティなのでしょうか?
みんなもつらいんだ!って思ったら安心する、という方もきっといるのでしょうね、



収拾がつかなくなってしまいました笑


多方面に配慮しすぎて保守的になってしまっている現代ですが、やはりこうした認識のちがいには気をつけていきたいですね。


それでは


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