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生まれて初めて詩を書いた日

生まれて初めて詩を書いた日のことは、今でもはっきりと思い出すことができる。あれは確か小学校1年か2年か3年くらいの頃(曖昧じゃねーか)、まあ千葉から鹿児島へ転校する前だから小学校低学年だったのは間違いない。ある日、私は学校で先生から「明日までに詩をひとつ書いてきなさい」と言われた。つまり宿題である。それがきちんとした指導プログラムに基づくものなのか、それとも先生の思いつきだったのかは分からない。とにかく私は翌日までに詩を書かなくてはならなくなった。

ほとんどの人は学校の宿題とかコンクールとかでもない限り、小学生の時に詩を書こうなどとは思わないだろう。私もそうだ。それまで詩はもちろん、短歌や俳句も書いたことはなかった。当然、「詩とは何か」ということすら良く分かっていなかったと思う。私は教科書に載っている詩を手本に、うんうん唸りながら必死で「詩」を書いた。今となっては内容などまったく覚えていない。とにかく私はその「詩」を書いたノートを持って台所へ行った。そして私に背を向けて夕食の支度をしている母に向かって、「お母さん、宿題で詩を書いたからちょっと聞いて」とか言いながら書いたばかりの「詩」を読み始めた。人生で初めての詩作に続く、初めての朗読である。その時の私は同じように宿題で描いた絵を見せるような、恥ずかしさと期待が混ざったような気持ちだったと思う。そして、私の「詩」を聞き終えた母は振り向いてこう言った。

「何それ?」

その時の母は、何かの理由で機嫌が悪かったのかも知れない。彼女の声は冷たく、表情には軽蔑の色すら浮かんでいた。母は昔から感情の起伏が激しく、言葉の使い方に容赦がない人間だった。いまだに当時のことを思い出すと、心臓に冷たいものが流れこんでくるような気持ちになる。その後のことは、よく憶えていない。まあ楽しい展開だったはずもない。その「詩」をそのまま出したのか、それとも書き直したのかも曖昧だ。ただ、生まれて初めて書いた「詩」を、その当時は一番大切だと思っていた人物から否定されたという痛みは、今も記憶の底に変色した傷跡のように残っている。

今の私は、たまに詩や短歌や俳句を書く。しかし、いくつになっても自分の書いたものを客観的に見ることができない。「これは良いものが書けた」と思うことなどごくごく稀で、ほとんどの場合は「えーと、これで良いのかな?」みたいな感じである。だから私は書いたものを賞やコンクールや投稿欄に投げ込んでみる。創作の第一歩が親からの否定でスタートした私にとっては、他人による評価だけがすべてなのだ。そして、たとえ賞をもらったり作品が活字化されても、喜びはほんの一瞬に過ぎない。すぐに「確かに今回は評価された。しかし、私の創作はあれが最後だったのではないか、もう何も書けないのではないか」という不安に包まれる。その不安を何とかしたくて、また言葉が降ってくるのを待つ。恐らく本当に何も書けなくなるか人生そのものが終わる時まで、その繰り返しなのだろう。

そんな私だから、子どもたちが小さい頃から彼らの文章や絵を否定しないよう心がけてきた。もちろん本人が勘違いするほど無責任な肯定はしないが、とにかく否定だけは絶対にしなかった。少しでも良い部分を見つけて褒め、悪い部分は「こうすれば、もっと良くなるのでは」というアドバイスだけにして「これはダメだ」という言い方は避けた。子どもの言動を安易に否定することは、彼らの中にある可能性の芽を摘むことになりかねない。ましてや「何それ?」的な、何が問題なのかという指摘すらない全否定など論外である。

あんな辛い思いをするのは、私だけでいい。

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