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あの日から10年

2011年3月11日は、ある金融機関の検査第一日目だった。当時私が勤めていたのは金融庁検査局。14時46分、説明を受けていた私たちは突然の揺れに驚き、ある同僚の「机の下に隠れて!、誰か、ドアを抑えて開けておいて!」の声に反射的に従っていた。金融機関側の担当者の1人がドアを開けておいてくれたおかげで閉じ込められることもなかった。揺れがおさまった後、別の会議室で説明を受けていたグループと合流した。金融検査は行政命令として行われるものではあるが、緊急事態で先方は対策チームを立ち上げる必要があり、必然的に検査は中断となった。初日の説明半日だけで。

主任検査官の主導の元、私たちは役所に歩いて戻った。そこで言われたのは、「今日はもう解散。」虎ノ門の役所から新橋まで歩いて電車に乗るはずだった。そしてその日は金曜日。私は習い事の発表会の練習に向かおうとしていた。無謀にも。新橋駅前の大型スクリーンで映されていたのは地震の画像、火事の画像。そして電車は止まっていた。そのときは、しばらく歩いて進めばそのうちに復旧するだろう、と考えていた。新橋から少し南下して芝のあたりのコンビニでちょっとした食料を買い、トイレを借りた。

当時はスマホを持っておらず、なんとなく歩いていた。川崎に向かって。高輪台で京急は台風でも止まらないからどうかな?と思ったところ、入り口がしまっている!ついに品川を過ぎて、大井町にきた。イトーヨーカ堂でトイレ休憩。ロビー階の長椅子に多くの人が座っている。その光景は平常時のものとは明らかに違った。大井町線も、JRも動いていない。先生からメールが届く。「今日はレッスンはお休みです。みなさん気をつけて過ごしてください。」よかった、間に合わないかと思った。そうその時点まで私はバレエに行こうとしてトーシューズを背負って焦っていた。

すでに暗くなっていて、いよいよどうしようかと思ったが、そのまま南下を続ける。西大井のあたりで迷ってしまい、文具店で道を尋ねたが、迷いながら進んだ。明らかにおかしい。非常に暗い一角があったりしながら迷って戻ったりしていたが、西馬込の近くと思われる場所でバスに乗った。東急池上線の池上に向かうバス、そこまで行けばあとは歩いて30分以内で着く。

バスの運転手は「電車は動いていないですよ。」と教えてくれたが、「そこまで行ければあとは歩けますので。」と言って乗車した。それまで4時間近く歩いていたので座れるのはありがたかった。座れたので買ってきたバームクーヘンを口にした。美味しい。道も混んでいたが、所々暗いエリアがあった。バスに乗れて本当によかった。実家の母にメールをしてもつながらないのかわからない。しばらくして主人とメールがつながった。会社に残るとのこと。「私は今家に向かってる。もう池上に行けるから大丈夫。」確かそんなことを返した。

池上を降りると、歩いたことのある道なのに何故か知らない雰囲気だった。それは暗い一角があったからかもしれない。それでも、3歳と4歳の猫が待っている、家に帰ったらガスが止まってるかもしれない、色々考えながら、帰路を急いだ。

メールが来た。あれっ、つながったんだ、よかった、と思うと、それは関西の友人からだった。「地震大丈夫ですか?無事だったらまず食料と日用品を買ってください。足りなくなることがあります。」「ありがとう、大丈夫、なんとか家に帰れそうです。アドバイスもありがとう。」自宅近くのマルエツがやっていたので食料や飲み物をなんとなく購入。

家に着くと、ガスは止まっておらず、電気もついていた。よかった。自宅は特段の被害はなかった。置物が倒れていたぐらいだったと思う。

何よりも無事に家に戻れて本当によかった。16時に解散してくれた主任のおかげ、バスに乗れたおかげ、色々な周りの人のおかげで食料も買うことができた。

実家の母も無事だった。父は出かけていて横浜のシェラトンのロビーで夜を明かすことになったらしい。

続く

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