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まなぼうの木曜日

せっかく大学生をやっているのだから、毎週木曜日は少しアカデミックなことを考えてみたいと思う。
わたしは文系学生だ。数学や科学という理系的なことは少々苦手。
だからすきなことはこう、ふわふわした考える漢字のことが好きだ。
つまり明確なAという答えが出ることばかりではない。
そんなことを語りたい。

専攻は国際政治ということになっている。International Relationship(IR)といったりInternational Politics といったりするやつ。
国という単位で事象や事件を考え、その背景を探るのはとても興味深いのだけれど、なかなか苦手意識を持つ人は多いように感じる。
きっととっても堅いイメージがあるのだろう。世界平和を希求するために学問をやっているなんて平気で言う教授もいる(現実性に欠けていて少し冷めた目で見てしまうが)。
でもそんなことない、と私は思う!!

国際政治っていうのは、195人の人間がなんでけんかをするのだとか、そういうことを考える学問なのだ。
持っているものも、バックグラウンドも様々な195人(国)がうまくやっていくように、いろんなことを考える、それだけだ。
195人くらいの会社に勤めている人が人間関係を上手くやっていくために、あれやこれややるのと一緒だ。そんなとき大事になるのは、きっと年齢であったり、その人がどの部署のどの役職についているのか。
会社ではそういったことは明確だ。Aさんが部長であることはすぐわかる。

でも政治だとそれがわかりづらい。
一概にも言えない。

それがきっとむずかしく国際政治を見せる理由のひとつなんじゃないかと思う。(いま思った)

これは『世界がもし100人の村だったら』池田香代子・著 (前に話題になった統計の本)を読んだらわかりやすいかもしれない。


ちなみに、わたしが大学三年生のときに国際政治を専攻に選んだ理由は二つある。

①ニュースがよくわからないから
②背景を考えることは、応用可能で、様々な変数を考慮する思考を身に着けることができるようになると思ったから

恥ずかしいくらい単純だ。

①に関しては、ニュースの説明を一生懸命聞いても、様々な番組やテレビ局によって、すこしずつ意見がちがって、なにが一番の正解なんだ?と思うようになったこと。
それから、大学前半2年間の授業をとおして、だれが主語なのか、だれ目線の話なのかということの大切さを感じるようになったこともある。
ニュースっていうのは、そこに恣意性(この言葉あまりすきではないけれど)がめちゃくちゃあるのだ。どういう風に伝えたいのか。どう受け取ってもらいたいのか。なんでも額面通りにとらえてはいけない。

学問として学ぶことで、その恣意性を自分なりに意識したうえでの情報の取り方をしたいと思ったのだ。(もちろん学びにも恣意性はあって、わたしの担当教官の考え方がわたしの意見にも染みついていることはわかっているけれど)

②に関して。文系の学問はとても楽しいけれど、残念ながらなかなか将来に直接的に役立つと思えるものは多くないのかもしれない、とわたしは思う。
法学や経済学などは働く中で直接生かせるかもしれない。でも文学や哲学、歴史学はきっとまっすぐに役に立つことは多くないんだろう。とってもおもしろいのに。
でもなんか身につけたい。
そう思った。考え方、なら楽しく学んで、いつか使えるかもなと思ったのだ。

そんなわけでわたしは今、国際政治を考えている。
結構楽しい。
たしかに知識も必要で、195倍の知識がなきゃそれっぽいことはいえないけど、でも為になっていると思いたい。

内容に入る前に今日は終わってしまった。
来週からちょっとずつ国際政治を中心にいろいろ考えたことを書いてみようと思う。まあいろいろと。

書くって思いがけず考えが固まったりするからやめられない。

(今日で投稿三日目、三日坊主というから明日が山場か)


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