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父は85歳

もちろん作りものの「牛の頭」だけれど、その部分が壁に貼り付けてある焼き肉のお店がある。

秋は実りの季節とあってお祭りなども多いのだが。
先日その焼肉屋さんの「牛の頭」を見たら、
「祭り」と文字のあるはちまきを角の所につけられていた。
途端に可愛らしい表情になっていたのでくすりと笑ってしまった。

「牛の頭」のお飾りは、私には父との事を思い出すもので、その道を通る度に気になっていた。

父は85歳になって病気もしてしまったせいか見た目すっかりおじいさんになった。
歯並びが良いのと白髪を嫌っていたから 元気な頃は歳より若く見えていたように思う。
負けん気があって 短気。
一触即発、危険語彙を放ってしまったら それは所構わず大きな声で起こり出す。
故郷大分県から 身の周りの荷物だけ持って集団就職大阪へ来たのは10代終わりの歳。
仕事している現役の頃は
「そうでっか。」と大阪弁で話している
大分県民だった。
知らない土地で強く生きてきた。その苦労が、父の大半を形成しているのだからそれらの気質は理解できる。


私がまだ小学生の低学年の頃の事。

眠りにつくのに 電気の点いていない2階へひとりで階段をあがろうとしたら
父が私に言うんだ。

「2階に牛の首がぶら下がっているで。」

途端に怖くなって 2階に行けなくなった。
それから

「そんな事ないない。」
「早く寝なさい。」

と…。
笑う父。

怖いものが「牛の首」とは 田舎育ち丸出しだ。
自身が怖いのがそれなんでしょう?

現在となっては父が面白い所もあったのだな。と思える。

焼肉屋さんの「牛の頭」のお飾りを見る度にその出来事を思い出していた。
もうずーっと前の出来事なんだけどな。
「牛さん。感謝。」

先日、実家へ帰った時 母の愚痴を聞いてあげようと思い、母と話していたら
愚痴の内容が父の事ばかりだった。

父はその愚痴をじっと聞いていたようで、ものすごく怒らせてしまった。そのまま実家に母を残して帰宅しなきゃならなかった私はとても悔やまれて仕方がなかった。

一週間ほど経って 父と話す気持ちが整って 電話をしてみた。

「お父さん、この前は気を悪くさせてしまって悪かったね。」

と話したら、父も静かに聞いてくれている。

そうだ。
私は父を怒らせないように配慮したら良かったんだ。

「牛の首」の話をしてみようかな。
痴呆のある父が その事を覚えているだろうか。




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