「遙」(凋叶棕)の考察 ー切るべき物事は切らないとならないー

「自分の感情と状況に折りあいをつけ、切るべき人、物事をめんどくさい人間を切っていく道」

凋叶棕のCDはCD全体の流れとして一つの物語を作っているものがあります。遙はその中で、他人との関係、自分自身の狂気と出会いと別れを描いたものじゃないかと思います。端的に言えば自分にとってめんどくさい人間を切っていく道ではないかと。

その前提として、凋叶棕、いや、人の心の光と闇を描いた創作はどのようなものかと僕が考えているのは下をどうぞ。

凋叶棕のCDの考察

https://note.com/yumeoi_tanuki/n/n8a8cce96fdc2

CDを通じて主人公がいると考えます。依代となる幻想少女たちは色々あれど、その主人公はこのCDにおいては一貫していると考えます。

また、歌詞あり曲については詳しい考察も加えていきます。


ささぐうた ーヒガン・ルトゥール・シンフォニーー

この曲は冥土に旅立つ「主人公」と小町が語り合い、過去に思いを馳せる曲です。
このCDでは様々な人間模様を描いています。どこで命が終わったのか。
最後のうつろわざるものでも軽く取り上げますが、うつろわざるものからこの曲に帰ってくるのかもしれません。
いや、苦しみのまま逃れられない、このCDの道中のどこかで命が終わり、この曲に帰ってくるのかもしれませんね。


Cruel CRuEL

めんどくさい人は周りも使って同調圧力を元に、「主人公」の意志をおろうとします。それを振り払おうと苦悩する曲。
めんどくさい人とその仲間こそが月の住人であり、無言の同調圧力こそが波長で、「主人公」こそがうどんげ。
仲が良い時の影を思い出しますが、所詮影、今は「裏切り者が」と罵るだけの存在。
同調圧力のままに圧力をかけるが、主人公はなすすべがない。
この曲だけでは救いが無いように見えますが、CDを通じての物語。to be continued....


幻想交響曲「ポイズンボディ」

凋叶棕の曲はタイトルだけで意味をもたせているインスト曲があります。
ここでポイズンボディのタイトルを持たしているのは、苦しむさまがまさに体が毒で侵されているかのことを示しているのでしょう。


Nega/PoSi*ラブコール

めんどくさい人本人の曲、いや、めんどくさい人=主人公の曲。人間どちらの立場にもなり得るということで。
こいし(主人公)とさとりは昔仲が良かったのでしょう。だけど、関係が破綻してしまった。
こいしはさとりになんとか振り向いてほしい。かまってほしい、愛してほしい。だけど、思い通りに行かない。ハラが立つ。関わり方が乱暴になる。
本人は精一杯関わってほしい、愛して欲しい。
だけど、主人公から見える姿(恋小説、恋愛小説、多幸感)と、さとりから見える姿(ゴミクズ、ボロクズ、ガラクタ)は、同じ行動についての別の見え方。
最悪のラブコール
「愛」としてのアイと、「自分」としてのアイの怒りの衝動のまま動く。
おしゃれに着飾っても、物で釣ろうとしても、笑ってよねぇと訴えても、もはやさとりには届かない、、、、、。
なお、現実の色恋ではには両方依代がこいしのようになってるのが多いんじゃないですかね?


盲目の笑顔
Nega/PoSi*ラブコールと対になっている曲。と同時に、愛していたとしても傷つけ合い破綻した関係は終わらせないとならないということ。
主人公はNega/Posi*ラブコールのこいしの相手方さとり。
愛していると言っても、もう怒りのままにめちゃくちゃになっているこいし。その心はわからない。
さとり能力をもってるさとりですらも。
Nega/Posi*ラブコールで両方依代がこいしと述べました。
そう。絶望にみちた鳴り止まぬ絶叫というのはひとつの愛が終わりそうなときに、愛してと叫ぶ主人公。
主人公はNega/Posi*ラブコールでみっともなく叫んでいた二人のこいしの片方。それに気づいた。
目を塞いで耳を塞いで立ち尽くす。そして、もう関係は終わりを迎えたというだけ。
愛しているからこそめちゃくちゃな行動をしてきた。でもそれは主人公も同じではないのか?と。
そうして、全てから離れて、一人になり、苦しみは終わり、一つの幸せを得たと。


あの日自分が出て行ってやっつけた時のことをまだ覚えている人のために。
タイトルだけで意味をもたせている曲。
「出て行く」ということが「やっつけた」ということ。
愛し合っていた2人であって、悲しい結末だったけど、出て行くという決断ができて主人公は打ち勝ったと。
素敵な恋をしたんだね!

悠久の子守唄
この曲については、流れからの憶測がだいぶ入っています。
主人公は寝ている子供だと思います。霊夢は、主人公を癒やす周辺の人たち。
悠久の刻、有るべきもの、「永遠」を手に握ること、
うつろわざるものでも取り上げますが、「永遠を手に握る」とは関係が変わらずに続いていく相手を見つけることじゃないかと筆者は考えます。
「遥な記憶」は、仲が良かった頃の思い出かもしれませんね。
ただ、今は恋人と別れて一人になっておやすみなさい。


そしていつかまた出逢って
これもタイトルだけで意味をもたせている曲。
おや、次のお相手が見つかったのかもしれませんね。
最初は伺うように穏やかに。そして、花が割くように盛り上がる、、、、、、、、、。
ただ、この次曲を見るとなかなか鬼やなと思いますが。


devastator

この曲についても、流れからの憶測がだいぶ入っています。
devastatorとは破壊者
ジャケットにはえーりんとかぐやの二人。
えーりんは平然とした顔。一方、えーりんに怒りをぶつけるかのようなかぐや。
修羅場曲。
一見、えーりんがdevastatorで、かぐやを傷つけてかぐやが怒っているように見える、、、、、、。
ただ、あくまで、筆者の憶測ですが、devastatorはかぐやで、えーりんが平然と相手を切ることを覚えた主人公
そして、かぐやは相手を試すような色恋をする人間。
はじめは大事に扱ってたけど、試す色恋をしたが、、、、、えーりん=主人公に捨てられたかぐや。
そして、平然とめんどくさい人間を切ることを覚えたえーりん=主人公
悲痛なる被害者は相手を試して愛を確かめようとする破壊者でもあった。
「遥なる者=主人公」にはすぐバレたと。
破壊者が(仲が良かったころの主人公を)返して、合わせろ、という。
が、主人公は、僕をこういうふうにしたのは君でしょ?と。
devastator=かぐやはNega/Posi*ラブコールのこいしちゃんと同じ。ただ、主人公は今度は平静で要られただけ。
こういう引掛けがあるから「ねぇ、devastator、あなたは誰なの?」で結ばれてるのではないかと。
一見devastatorがえーりんに見えるが、実はかぐやの方だからではと。
まあ、Nega/Posi*ラブコールのこいしちゃんの傷から復活して、次にあった異性がdevastatorかぐやとは、
なかなか主人公異性運ないね、、、、。


うつろわざるもの
Happy End!の曲。
この曲には彼方が出てくるが、これは「あなた」つまり、この曲での主人公の恋人ではないかと。
かつて碧かったというのは昔人間的に碧い=未熟だったのは主人公?この曲での恋人?どちらということでもあると思う。
この曲での「あなた」も昔は未熟人間だったかもしれない。
人間みっともない恋をして成長していくもんよ。お互いにね。
知己とは、知人のこと。devastatorかぐや,Nega/Posi*ラブコールこいしのように、
かつて愛しあった人ももう過去の者へと移り変わっていく。もう興味はない。
そうやって、出会って、別れを繰り返していく。
愛で暴走する自分自身、それは空の彼方に捧げ、ただ一つ、「うつろわざるもの」を向く。
うつろわざるものというのはお互い関係が落ち着いて変わりえ無いと感じる人間だということでしょう。
おそらくこの「うつろわざるもの」が「あなた」である主人公の現時点の恋人だとかんがえる。
過去の者のことを思い出して辛いこともあるだろう。だけど、それらの記憶は時が流れていき、荒廃していく。
最後に、残った「うつろわざるもの」が目の前にいて、惹かれていく。
この身を委ねよう、あなたとともにあるならそれでいい
これ多分「うつろわざるもの」へのうつろわざる関係の申し込み、すなわち結婚の告白じゃないかと考えます。
そして、
「変わらぬもの、うつろわざるものを」抱いて
結婚の告白が受け入れられ、抱きしめあって、受け入れあってここにいる。
わがまま放題であった自分は天空の彼方に捧げ、「うつろわざるもの」に向き合う。
Happy End!


この時点では「うつろわざるもの」と信じ、Happy Endなのですが、
ここで、2曲めのささぐうた ーヒガン・ルトゥール・シンフォニーーに戻るのではないかと考えます。
冥土に向かう最中に、小町がどんな人生だったのか?と聞いてきます。
様々な人生模様がありますが、この中には「看取られ幸せな最後を迎えた」もあります。それだったらいいですね。


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