おばあちゃん

部屋を決めて、次回にまたグループホームに行って書類を書くことになった間のことでした。

みんな寝ていて、空がそろそろ明るくなってくるなという時間に家に電話がきました。
母が起きて出たようで静かな話声が内容がわからない程度に聞こえました。

実は先日からおばあちゃんをお世話してもらっているディケアさんから容態がよくないことを聞いていたので、母は電話が来たらおばあちゃんが亡くなったのではないかと気を張っていて電話に敏感になっていたのです。

布団の中で動かず、誰からの電話か内容を聞き取ろうとしましたがまたそのまま寝てしまいました。


朝いつもの時間に起きて母に聞いたら予想通りおばあちゃんが亡くなったとの報告でした。


ディケアに入ってお世話してもらってから1,2回しか見に行けず、コロナのこともあって会いに行けなくて、おばあちゃんに申し訳ない気持ちでした。
ディケアの方達がちょっとしたことでも電話で報告してくれたりして良いところだったのは有難かったです。

母がカレンダーの日にちを見て「今日おばあちゃんの誕生日じゃない」と言いました。
誕生日までもったんだねと言われるとなんだか切ない気持ちになりました。

おばあちゃんには父のお姉さんにも連絡して身内だけで小さいお葬式をすることになりました。
小さいと言っても色々と高値のものを揃えたりしなきゃならなくて、お金の心配もありました。


次の日に足を曲げたままの小さいおばあちゃんが家に連れてきてもらって、久しぶりに顔を見れました。
眠っているようでしたが、触ったら固まっていました。

みんなの前でお化粧をしてもらって、どうぞと見せてもらったら寝てるだけのようになりました。

ディケアにお世話してもらって長く会わなかったからか、認知症になってから暴れたり暴言を言ったりしたのも遠い思い出すぎて「ごめんなさい」と「ありがとう」の言葉ばかり浮かびました。

特にまだシッカリしている頃に「長生きしたくない、無理して延命されたくない」と言っていたおばあちゃんを食べられない時は点滴とかで栄養を入れて無理して生かしてしまったのは、おばあちゃんにとって果たして嬉しいことなのだろうかと思いました。
まあ、私が無理な延命を反対しても父の決定が絶対だから結果は同じだろうけど。


こんな時だし父に普通に話したり、家族が出来ていないことをやったりできていました。
お仕事場に行っていたり一人暮らしのことで色々やっていたおかげでしょうか。
お金が間に合わないからと貸したりもしました。
そこでまた(やっぱり私が一人暮らししてお金を入れないと家族は生活していけるのだろうか?)と心配になりました。


お葬式が終わり部屋でグッタリしていると、父が部屋をのぞいてきてゾワッとしたのですが悟られないように冷静を装っていたら「今日はありがとうな」とボソッと言われました。

良い言葉だし、手伝えてよかったと思ったのですが。


一気にすごい吐き気がしました。


頑張って父と話したり近い空間にいたのとか、小さい頃に気づいたらドアの外から覗かれてたことがあってビビッタこととかも思い出したり、おばあちゃんのことの疲れや終わった安堵感もプラスして一気にストレスが吐き気に変わったのかもしれません。


一人暮らしが進むたびに(本当にいいのだろうか)(家族のお金は大丈夫だろうか)(自分に出来るのだろうか)(ネット回線はちゃんと出来るのだろうか)と不安だらけで、面倒くさいのでやめてもいいのではという考えもまだあったのですが…
この酷い吐き気でやっぱり父とこれ以上一緒にいられないとハッキリわかりました。


後回し後回しにしていたネット回線のことをさっさとやろうと思うキッカケでもありました。

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