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遺言 謝罪 胎児の踊り

詫びたい。死んで詫びたい。
具体的にどういうことかというと生まれてきたこととか、その辺です。それ以外は特に無い。だって悪い事してないもん。
誰に詫びるのかというと対象はいません。世の中の全員の人間が死ぬか僕が死ぬかの選択肢だったのでやむなし…。あ、でも親には少し謝りたいかもしれない。随分金がかかっただろうなあと思って、とても申し訳ないです。反出生主義でもないけども、なんで生まれてこなきゃならなかったんでしょう。とか。

別にワイヤードのほんとうに存在するかもわからない人間の自我のネガなんて誰も読みたい人いないですよね、いないです。すんません。なのでこれを何とか創作(笑)に昇華するぞ〜。

はい。昇華しました。
そもそも創作という言葉の難易度が高すぎると思うのですが、それは僕がつげ義春の漫画、「無能の人」の主人公のように本当に無能の人だから創作でまともに完成作品を出せないので僕が全部悪いです。世の中の創作に携わっている方々は本当にすごいと思います。いわゆるクリエイター職とか、ワイヤードがある時代ですからね、そういった方々の作品の情報とかが手軽に見れちゃって、圧倒されるばかりです。
嘘。本当はちょっと嫉妬もあります。羨ましい。
創作物の出力端子の意思がしっかり作動してる人を見ると畏怖と嫉妬の念を抱きます。

昔から僕は勉強はそれなりにできる人間だったんですが、積み立ての努力をしてこなくて全部感覚でやってきたせいで今割と成績が悲惨になってる(やつもある)感じです。カスだね!自業自得。
小学校低学年の頃から「宿題のテキストの答えを写す」「宿題をスカして出さない」という選択肢コマンドが常備されておりました。なので今も努力の価値を全く知らない。

皆さんは化物語を知ってますか?小説です、箱みたいなやつの、赤い本。まぁ多分大体の人が読んでますよね。僕は化上下と傷までですけどね。すみません。
で。中学で化物語読んだときそこまで阿良々木暦に感情移入できなかったんですけど、今はとても感情移入できます。学習状況というか、あまり多くの描写が無いけども学校生活の質感がそのまんまなんですよね。僕の学校生活は戦場ヶ原ひたぎその他のヒロインが全く居ない化物語と思ってもらって大丈夫です。全く面白くないな、それは。

だから当然学校が滅茶苦茶嫌いなんですけど、別にワルでもヒッキーでも無いです。毎日律儀にチマチマ早起きして学校通ってる。嫌だ僕はもう今日はこのバスを降りて帰ろうとか帰る家も厳しい親がいるからどこか知らない電車に乗って知らない場所に行こうとかそういう事を毎日通学路での登校中に空想してシュミレーションしてるんですけど一回も学校を休んだことは無いです。カスだね。
いろんな創作物とか所謂“クリエイター職”の方々のエピソードとかに影響されて不登校になってみようとか学校サボろう、学校にロクな価値なんて無いよなんて思ってはいるんですけど、皆勤賞です。ダサい。
というかそもそもクリエイター系の職業の方々は並々ならぬ努力を積んでるわけで、その間石を積んで売ろうと空想している僕が勝てるわけ無いです。僕が悪い。

CLANNADを初めてやった時主人公が平然と授業をサボったのにはとても驚きました。選択肢コマンドの中に「授業をサボる」があるのだ。僕はセリフで授業をサボりたいと愚痴を言うだけで、授業を受けるという選択肢しか無かった。美少女ゲーの主人公にもうまく自分を重ねられないんですね。

プロゲーマー梅原大吾さんの著書、「勝ち続ける意志力」という本を読んだ事があって、とても良い本で、格闘ゲーム、ひいてはゲーム自体をプロとして職業まで成り立たせた梅原大吾さんの経歴や考え方などが沢山書かれていて、努力の大切さや生き方について感銘を受けました。
でもその翌日、南条あやさんの「卒業式まで死にません」を読んだ時、僕はそちらの方により多くの感情を惹かれていました。生きるということはこういう事なのかなと思いました。惰性でも何でもない、苦しんでるのは事実なわけですからそこには何も無い。死んだら無です。その間何をするかって、苦しめられるだけだし、なんで縋って生きていくんでしょう。とかを、学校で鬱屈して読みながら思ってました。いつでもどこでもリストカッターを読んで、なんだか、僕はもう、世界の正しさというものがわからなくなってしまいました。あんなに頑張っている方でも批判や皮肉と冷笑を込める事が平気でできてしまう世の中に存在する人間の正義が気持ち悪くて、僕はもうそういったものを信用するのが全部厭になりました。
だから僕は学校にいる人間総てを信用できないのです。自我の伽藍洞な地獄の鬼に見える。学校。ここは死後の地獄です。

そんな事を思ってはいるけれど、なんならずっといじめられてた中学時代も皆勤賞です。
なんで中学校で不登校にならなかったのか自分でも不思議でたまりません。
毎日律儀に学校行って、陰口叩かれて、消しゴムの破片を背中に投げられ、それでも3年間通い続けました。いじめの強さの度合いとしては全然強烈では無かったと思いますけど、それでも多くの人間から一斉に向けられる敵意っていうのはやっぱり僕にはとても怖くて、3年間律儀にいじめてきた人たちの甲斐あって、見事に人間不信になりました。でも鬱病になるわけでもなく鬱屈しながらも診断が出るほどの鬱ではない。学校に行きたくないと言っても力技で親に言いくるめられてそして目覚まし時計が鳴って律儀に学校に行くから不登校にもならない。なんで、それなりにはやっていけてしまっているんですね、社会で。意外と社会不適合者でも何でも無かった、何者でもなかったというオチです。
いや、いじめられてた分周りの人間よりかは確実にキモかったんでしょう。実際は言うほどやっていけてないかも知れません。でも、キモいだけの鬱病でも何でもない健常者(笑)です。くだらない。
だから診断書が出てる人を見るとそうかーと思います。あれ、何も表現できてない。そうかーって何だよ、何が言いたいんだ、まあいいか。診断書が免罪符になってくれればなと思うのですが、そんな思考は甘えです。わかってます。すみません。でも本当に毎日がつらい。
親は、中学3年間いじめられて人間不信な健常者の人間、をはっきりと認識できていない。いかに学校に行きたくないかを説得しようとするんですけど、日本語が下手なので無理です。じゃあボイコットして座り込みでも何でも家から出なきゃいいじゃん意思が足りねーよクソ人間とか思うかも知れませんが、まぁ待ってください。普通に暴力振るわれたことがあるのでビビってるんです、僕は。何かあるたびに暴力が場の空気をかすめる。そういう空間です家は。

僕の描く絵は下手です。まぁ絵を描いてる人は大体自分の絵を下手って言うんですけど、僕に関してはマジで下手です。
だから上手いのに下手って言ってる同年代の人をSNSで見かけるとマジでむかつきますね。心境はわかるんですが、お前絵上手いだろうと。相応の努力してるだろと。そんな素敵な人間は自分を卑下しちゃいけない。本当に下手な人間がお前の足元の地面の下にいるからです。
でも下手な絵ながら僕にとっては精神の安定剤になってる。中学でいじめられ手た時も学校に来たくなくても始まってしまった1時間目の科学の授業の時も何かと絵を描いていました。落書きみたいな漫画を描いていました。本当に下手なんだけど、瞑想みたいで落ち着いたんです。だから何とかそっちの方向に進みたいなって思って美大に行きたいですとか親に言ってみたりするんですけど、あんまりいい顔はされないです。学費高いし、僕の絵が下手なことも知ってるからです。そりゃあ確かにそうです。僕の落書きの延長線上と美大的な受験に向けての技術力っていうのはやっぱり別物ですから別途必要で、それはデッサンとかの実技であって。いくつか美術系予備校の講習に参加してみたりした手応えは、「努力量がそのまま絵に換算されるから楽しい」でした。講評はボロカスにすら言ってもらえない微妙な反応で一番悔しかったですけど、それでも努力で見返してやりたいと初めて思えました。努力の価値がよくわからなかったのですが、時間と思考を重ねた分だけそのまま紙面上に結果が構築されていくのはなんだか嬉しかったです。数学のよくわからないテキストのワークと違ってちゃんと自分の選択した行動が目に見えて結果に変換されていくのが嬉しかったんです。いや構図とか鉛筆のタッチとかわからなくて難しかったことは幾つもありましたけど、これなら努力してみたい、と初めて思えたんです。

大学の見学にいくつか行ってみて思ったのは、大学見学に行く前教師が「その学校、学部にいて学習している自分のビジョンが見えるかどうかで考えてください」と言っていたのですが、どの大学を見ても講義をロクに耳に入れず後方の席でノートに絵を描いている自分のビジョンしか見えなかったのがなんだかなあという感じでした。別にどの学部にもあんまり興味はなくて、「経済学、経営学」なんて学んでどうすんだよ、マトモと言われてるような企業に就職して60何歳とかまで別にさして高くもない給料でエクセルとパワポを勤務時間内外までこねくり回すのか?んで退勤してクソみたいな時間に本屋でも立ち寄って明日を変える夢見て2000円ちょいする自己啓発本でも買ってたっかい家賃の首都圏のゴミアパートで眠りにつくのか?クソがよ。生きてて楽しいのかそれは。みたいなカスの考えしか思いつきませんでしたね。努力して勤労してる人間の方が偉いに決まってるのにそれすらあんまり理解できていない。
別に好きですから下手という理由で絵を描くことを辞めたくはないんですけど、こればっかりは本気で悩んでます。多分批判的なというか冷笑的な目で見られることもなんとなく判りますけど、下手でも、僕にとってはそれくらいしかできる事が無いんですよ。多分僕はまともに大学を卒業できないだろうと何となくわかります。なぜなら高校ですら既に精神が壊れてしまっていますから…。だから、せめてできる努力をしたい。

でもかといって将来的に何をやるかとかは考えていません。だから迷っているっていうのもあるんですけど…。美大に行きたいっていうのも自我の作品構築の時間と刺激をくれる環境が欲しいというはっきりしながらも実務的にふんわりしたもので、正直希望する学部すら現在まともに絞れていません。駄目人間ですかね。
で、その後のことも特に考えていません。まぁ読んでれば何となくお分かりかと思いますが僕は頭が弱いんですけれど、その僕でも流石にこれがマズい事はわかります。流石に人生の計画性が無さすぎる。
でも、パラサイトって映画のセリフであったでしょう?計画は作るから破綻するんです。はじめから計画など無ければ破綻なんてしない。といった具合で…。
今はまだ、やりたい事をやるだけだと思ってます。

どうにもしんどくなったら、その時また遺言を書けば良いのかもしれませんね。

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