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嘘と異邦人

僕はもう無理だった。自分が怠惰さで落ちてゆくのが実態感の無い日数の多さによって明確にわかる夏休みというシステムが嫌いだったし、自分が小さい時には珍しかったはずの数字が当たり前のように天気予報の表に更新されていくたびに自分の部屋に篭って行った。
これも自分が小さい時には無かったはずの未来だ。
結局。
僕は変われませんでした。毎回。夏休みが始まるたびに夏休み後の「勉強をしまくった自分」「運動をちゃんとやった自分」「対人関係全部理想通りになった自分」を想像して虚構を前借りして優越感を感じていた。当然そんなものはありませんでした。
少しずつ、少しずつ地べたを這いずりながら進んでいく。周りの人間は軽快に、しかし息は荒く、それでも一定のペースで進んでゆく。それを見て初めて僕はこれが人生がレースであるということに気づく。だが起き上がり、走り出す筋力はもう無い。みんなと同じように立っていられる意思力が無い。ただ這って、這って、進んでゆく。
だから、進んではいる。一応。

だが今日は。今日はどうしても無理だった。馬鹿みたいに暑い直射日光も、中途半端に伸びた髪の毛も、街をゆく人たちの話し声も、どこへ目を背けても目に入ってくる広告の数々も、将来を考えるための脳の領域も。全てが限界に達していた。何か大きな出来事がが引き金になって、とかのタイプの絶望ではない。ゆっくりと、重く、最後に溢れた。そんな絶望だった。生きることに対して。特に希望を感じなかったから。いや、いくつか希望はあった。ただ、これから生きていく上での絶望の数々の現実を前借りして無限に絶望感を感じ、その代償を払ってでも生きていたいかというと、いやだった。
でも死ぬのは怖かった。だから死んでない。生きてまーす。
しょうもない人間だね、本当。
だから、そう言ったことも含めて、無理だったんだ。理由なんてない、か、理由が多すぎる の、どっちかだったんじゃないかな。だから溢れるのは早かった。他人に向いた。矛先が。矛と言えるほど立派な反抗心や感情とかそう言ったものでは無かったけどとにかく吹っ切れた怨念の重みが全てその矛にのしかかった。

ばぁん と頭の中ででかいSEが鳴る。なんだったかなぁ。そう、確かカミュの異邦人という本。夏になると毎回、頭の中でテープが再生される。なんだっけな。巻き戻します。
シュウィーーン ジジジッ   太陽のせい
そう、太陽のせいです。全部、多分、暑くなったから、溢れちゃったんでしょうね。
そう。だから全部、嘘なんですよね。本当に。

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