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抑鬱エモ射精

去年の夏ぐらいから明らかに精神状態の挙動がおかしかった。
最初は情緒の浮き沈みの波がだんだん大きくなるところから始まり、そのあと希死念慮が来て、時間軸で自分を俯瞰して憂鬱になって、でも無気力でというふうになってきた。
無気力って言っても今までの「面倒くさい」とかのタイプではなくて、自分の人生、周りで起きる事象に対して心底「どうでもいい」と思い何もする気が起きないことが増えてきた。何もしないだけならまだ良いけど、予定されていたタスクを放棄することすらも昔と比べて圧倒的に多くなって。
でも、何かそれも割とどうでもいいんですよね。あんまり関係無いし。いや実際は関係有ることも多いんですが、アクセルを踏む体力、気力が1日の中で既に無いので自分の事以外全て放棄するような行動を取っている。
前までは別にそんな感じじゃなかったんですよね。勿論無気力〜とウダウダなる事もありましたけどそれはあくまで面倒に感じていたもので、タスクを完全に放棄するということもあまりしなかった気がする。日常生活のどうでもいい部分が段々とジワジワ増えてきている。

こんな僕みたいなクソみたいな人間が燻ってるだけで何で死んでいないか、自殺していないかというと、痛そうだからという理由だけなんですよね。
電車や高いビルを見たらやっぱりその大きな暴力を以って死ぬととても痛そうだなぁと思う。だから辞める。そして今日も明日も這って、這って、苦しんで生きていく。
毎回自分が死ぬ情景を想像するたびに汚らしいチープな骨の音が鳴って、飛び散った臓物と血がビチャビチャになって(それもあんまり綺麗じゃない ツイッターの病みイラストのように小綺麗な構図で死ぬことはできない)、その過程を思うと嫌だなぁと思います。痛そう。
だからこう、その過程に慣れるためにリスカとかしてみようとも思うんですけど、それはリスカ自体が目的であるかというとまたちょっと違くて、これは意思表示で、精神状態を周りに示したいんですよね。言葉が下手すぎて伝えられないから。助けて、でも無くて、環境に甘えたいだけかもしれないですけど、逆に言えばそうでもしないと自分の意義を立証できなくなっている。いやリスカで意義が正しく立証できるかというと微妙ですが。

まぁその、ある日突然というか、朝起きれなくなっちゃったんですよね、典型的な。起きる理由が無くて、自分が起き上がるための理由が何も無くて、頭痛がして、ベッドから起き上がれなくなったんですよ。起きるための体力ゲージすら気づいたらもう無くなっていた。
だからもうそこで僕は尽きたんです。

鬱って、やっぱり自分より明らかにもっと苦しんでいる人達がいるじゃないですか。SNSをやってたら割と散見することも多いですけど。だから、自分はまだ鬱では無い、まだ大丈夫な方だ、と言い続けてしまうけど、
そもそも“まだ大丈夫”とか言ってる時点でもうかなり駄目なんだよな。危ない。
さっさと周りに助けを求めるべきだったと思います。まぁ本来助けを求めれた人たちとの人間関係も全部自分が鬱の時にぶっ壊したから気づいた時には相談相手もいなかったんですが…。
そう、だから人間関係は(なるべく)切らないほうが良いと思います。勿論自分側の精神状態がギリギリなのに他人と付き合ってられないと感じる時もあると思いますが、後々のために大事ですよ。

あとは割と鬱の時だと情緒がめちゃくちゃなので天元突破グレンラガン第2話Aパートで号泣したりしてました。


なんか本当に世界の全部が嫌で、一生部屋の中で音楽聴いてたいですね。

このまま死んでいくんだろうな…。

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