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コタツでの約束

「月に一度は一緒に食卓を囲んで、酒を飲みながら直接話す」

これは、私を含め女3人(+猫1匹)が数年前にシェアハウスをしていたときの約束事だ。

 金沢の中腹を流れる犀川沿いに建っていた、築50年は経つ古い一軒家が私たちの家。同居人たちは、普段の生活のなかから新しいものをつくりだすこと、昔から続く伝統を今の生活に取り入れることに長けていたひとたちだった。彼女たちが狭くて古い台所で響かせる包丁の音、干し柿にじゃれつく猫の前足。全てが生活に直結していて、同時になんだかずっと長い旅に出ているような、不思議な高揚感があった。3人とも生活の時間帯がバラバラだったので、毎日必ず顔を合わせることはなかったが、なにか話したいこと、伝えなければいけないことがあるとお酒を買ってリビングに集まった。翌日の仕事などもあるので時間がきたらそれぞれの部屋に戻ってゆく。どれだけ深刻な話でも、最後は笑い飛ばしてくれた。その時間によってどれだけ救われただろうか。

 ある日、期間限定で台湾からきた女性と4人で住むことになった。英語でしかコミュニケーションが取れないことを聞いて、私たち3人は緊張した。うまく共同生活を送れるだろうか、拙い英語できちんと意思疎通がはかれるだろうか、という不安はすぐどうでもよくなった。大きな澄んだ目でまっすぐ自分のことを話し、宝物のような茶器で台湾茶を淹れてくれた彼女のことをとても好きになったからだ。

 私たち4人は、共通して当時美術系の仕事をしていて、みなお酒が大好きだった。古い玄関をくぐるとすぐ台所と横並びの居間があり、そこには冬になるとコタツが出されて、家に帰ると誰かしらがお酒を飲みながらご飯を作っていた。石油ストーブの上には、いつも銀杏かお餅が焼かれていた。「crazyな酒飲みたちだ」と台湾からきた彼女は笑っていた。

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 私は、その頃ちょうど長く付き合っていたパートナーから結婚を打診され、金沢を離れるかどうか悩んでいた。迷っていたとも言えるかもしれない。そんなときに、夜ゴミ捨てのついでに彼女と一緒に家の前の川沿いを歩いた。拙い英語だったので完璧に伝わったかは分からないが、彼女は私の悩みを聞いたあと手を握って、言ってくれた。
「この家に住んで、同居人の女の子たちと一緒にお酒やご飯をともにして、何かあれば話し合って解決しているでしょう。それは、まぎれもなく家族として暮らしているよ。どこにいたって、誰とだって毎日生活しながらお酒を飲んで話し合って、お互いを大切にしながら寝食を繰り返していれば、それだけで家族になれる、大丈夫。」 
 お互い、母語ではない英語で一生懸命話しているからか、酔って熱を持った手に触れたからか、その言葉はとても染み入った。同じことを親や、東京で待ってくれているパートナーに言われてもそこまで響かなかったかもしれない。次東京に行ったら、私からパートナーへ結婚を申し込もうと思って、その通りにした。

 彼女が台湾に帰るのと時期を同じくして、私たちの共同生活も終わり、それぞれが別々の道に進んだ。でも私は金沢に帰るたびに、あの頃の私たちがまだ4人で生活を続けているような気がする。自転車で川沿いの道を走り、お酒とおつまみを買ってみんなが待つ家に戻る。路地裏や古民家の入り口に、あの頃の私たちが見えるような気がする。

 私たちは今後4人で生活することはないだろう。だけど、ある時期同じ船に乗っていたことは事実だ。同じ屋根の下で眠り、夜になると集まり長い時間話し合った。その日々が小さなきらめきとなって、離れていてもその光があることを遠くから認めるだけでまた生きていくことができる。

 本当であれば、今年の秋にでも台湾へ向かうはずだった。日本のお酒をお土産にしてまた彼女と乾杯しようと思っていた。叶わなかったけれど、落ち着いたら同居人たちと台湾へ向かって、夜市で乾杯しよう。

Photo:W.S

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