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裸婦はラフに素描したい

先日の記事と関係しますが、大雑把に周りを描くことで暗示的な裸婦の素描をしてみようという試みです。なるべく大雑把と言うのが大事なところです。

私はファンタジーアートが好きだったのですが、その分野では人間が描けないと話になりません。特に魅力的な女性が描けないと端からダメ。始まりはそんなことだったのですが、今でも好きでラフな人物の素描を続けています。

ネガティブ描画での裸婦の素描

先日も書きましたが、これはネガティブの形を描くということです。絵には暗示というものがあるのですが、くどく描かれたものよりも適当に暗示の部分が残っている絵に私は惹かれるものを感じる--と何度か言っています。なので、なるべく大雑把に暗示で訴えてくるような素描をある時から考え始めました。もっとも、どのようなスタイルに魅力を感じるかは個人の好みですが。

アタリを取って薄くシャッシャッと鉛筆でやる。学校絵画形式というか、どこでもやっている一般的なスタイルですが、絵を始めたばかりの人は概ねその形です。あれはしかし、どうも個人的には面白みがないと感じてしまうのです。面白いことに、幼児が絵を描くときはそのような形を採りません。しかし時には魅力的だったりします。幼児はアタリを取って上手く描こうという意識がありません。

これは練習の一つの方向ですが、形なんか崩れても構わない、それはやって行くうちに解消される問題であって、とにかくパッと瞬間に見たときに、脳みそに入ってくる順序を大事にしたいという考えです。細部が先に入ってくることはありません。

主題とその周り

まず最初に入ってくるのは大雑把な形と大雑把な陰影です。これさえ捉えるのが難しいのにいきなり細部へ行こうとするからしんどい。そんな風に考えたのですね。そして主題の形とその周りの形を同時に意識する。これが重要かつ面白いと感じたのです。周りをスケッチすることで主題を充分に暗示することができます。ポンチ絵になりましたが、上の図のごとくです。

巷で見かける素描のなかには、やたらとアタリが目立って、途切れがちの薄い線と過剰にくゆらした演出臭の目立つのが沢山あります。これは多分、見せることを意識し過ぎているのだと思います。練習ではむしろ見せることなど考えないで自分の未熟をドンドン出さないとなかなか進展しないように思います。

なるべくもっとおおらかに。細部は後回し。そこは別個で練習すればよい。自分にすんなり受け入れられる方法でとにかく描いてみる。絵に特別なルールはないのでどんなことを試してどんな絵を描いてもそれは個人の勝手なので何をやっても良いと思います。そして絵を一枚描くのにやたらと難しくならないように気を付けたいところです。

絵の練習は楽しいばかりじゃないですが、くじけずに続けたいです。皆さんもそれぞれの方法で描くことを楽しんでください。

明日が明るいことを。

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