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筆の練習をしつつイメージを想起しようじゃないですか

何を描こう--と言うことでなくても、なるべく自由に筆で遊んでみることは面白いです。最初はとにかく描くべき目的がなくても良いと思います。適当に絵の具を散らすことによって、偶然に生まれる明暗のパターンはなかなか面白い形やシーンを描くときがあります。絵を描く場合、私は個人的にその部分を大事にしています。

山の頂

この絵も最初はかなりの偶然です。途中で写真を撮って置けば良かったのですが、初期のパターンを眺めていて、私は山の頂の岩場か涸れ沢をイメージしました。その後はその路線で絵の具を重ねました。どちらかと言うと岩のゴツゴツした頂きをイメージしますね。しかし眺めていると涸れ沢にも見えてきます。

これは絵の具を水で溶くだけの透明調でやっていますが、その場合はあまり細かい部分をいじらない方が結果は良いです。描き込むと物の形は視認しやすくなりますが、絵としての趣は雰囲気は何故か消えることが多いです。しかし油彩やアクリルやガッシュを用いての不透明な描写であればここからドンドン描き進めることができます。もっとも私は細かいリアル系はあまり好きではありません。

偶然に浮かび上がった象さん

偶然に浮かび上がると言えば、例えば上の絵もまったく何等の意味もなく筆の練習としてただ動かしていただけです。しかし後で気づくと草原を歩くかのような象がイメージされました。そして不思議なことに、まったくの無作為であるか、或いはよく修練した人である方が偶然の面白さをより表現できるような気がしています。

結果は二の次で練習すれば良いですね。絵に関しては私がかなり変わった思考で描いていますのでちょっとピンとこないかも知れませんが、抽象と具象の間を想像して頂ければ良いのではないかと思います。水墨画風とも言えますね。

筆も形にこだわらずグイグイやれば面白いです。何が生まれるか知れません。サイズや種類もあれこれ試してみたいところです。平筆も丸筆も使い方で様々な面を見せます。


少し余談。

山とか涸れ沢だとか言うと、例の山梨での少女行方不明事件をつい思い浮かべます。涸れ沢と言う言葉を聞くことが多くなりました。しかしそれについての報道やネットでの各個人の考査を見るにつけ、なんとも奇妙な事件としか言いようがありません。靴跡が既に三年前に発見されていたとかの報が何故か今頃あって、じゃあ何故そっちの可能性がないかと思うのですが、どうやらそこから先、頂上へ向かって登るなど詳しい人に言わせるとやっぱり無理だとか、そもそも靴跡が変だとか、様々な意見が飛び交っています。聡明に思考できる人の意見には皆頷ける部分があって、それ故にまた何が何だか分からなくなります。

私もハイキングが好きですし、山に入ってその神秘感を味わいたいと思うことも多いです。決して迷うようなところは最近は歩きませんが、それでもちょっとしたことで動けなくなることもあるかも知れません。

この件の場合は、結果は無念でしたが、事故とも事件とも今のところはかなりあやふやに思えます。少なくとも一応の合理的な説明が着くところまでは調査を進めてもらいたいですね。


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