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この世を創造したのはだれ?


科学とスピリチュアルの融合を標榜する、かつて著書の『タオ自然学』などで一大ブームを起こしたフリチョフ・カプラというアメリカの物理学者がいる。

タイトルのテーマについて、
カプラの思考体系を源流とする私なりの知見を述べてみたい。

個人的に人生最大の疑問、いや研究テーマとも言えるのが、このタイトルである。
具体的には、次の二つの考えの間を揺れ動いているというのが私の現在地である。


私は唯一の創造主のほんの一部(使者)なのか?

それとも、私自身が創造主なのか?



それでは早速、それぞれについて紐解いていくこととします。


私は唯一の創造主のほんの一部(使者)なのかもしれない。


創造主は物理的実体を持たない。
そして、その思考したものは即、実現してしまう。自分が生み出したモノの結果と詳細を知りたいがために自分のアバターとして人間を作った。

…創造主が自分自身を知るためにこの物質世界に人間を派遣して情報を集めている?
おそらく、最もポピュラーなスピ系の支持する説。


この説の裏づけとなろう、2つの正統派学者の理論が興味深い。

❶一つはリベットの実験における「自由意志」の問題。
(→創造主は他にいる説)

リベットの「行動0.5秒前の神の意志」
人間が指を動かす時、まずそれを脳が意図する。
次にそれを脳が指の筋肉に指令する。そして、筋肉が作動する。
この行為を実現するためには、この順番となることは誰しもが考えるまでもなく明らかであると思っている。

ところが1983年のベンジャミン•リベットによる実験で、この際の脳の指令に先立って指の作動の行程が始まっていた、という事実が証明されてしまった。具体的に約0.5秒という数字の発表が、科学の裏打ちであることを印象づけることにもなり、
世界に衝撃を与えた。

わかりやすい解説文があったので借用させていただく。
『平均的に、われわれが「動作」を始める約0.2秒前には、「意識的な決定」を表すシグナルが現れる。しかしわれわれの脳内では、「意識的な決定」を示す電気信号の約0.35秒前には、それを促す無意識的な「準備電位」が現れているのだ。つまり、われわれが「こうしよう」と意識的な決定をする約0.35秒前には、すでに脳により決断が下されていることになる。』

これの意味することは、人間独自の「自由意志」などは幻想に過ぎず、その上位存在がいることを認めざるを得ないことと解釈されている。

わかりやすい表現ではやはり『創造神が存在する』というわけである。


❷もう一つは機能脳学者苫米地英人の投げかける問いである。

脳と神の意志はコンピューターのハードとソフトの関係か
(→創造主は他にいる説)

コンピューターは人体における脳に例えられる。
そしてコンピューターはプログラムを入力しない限り全く起動しない。ではそのプログラムを設定するのは誰か?言うまでもなく人間である。

このわかりきった事実から、人間における脳にプログラムをセットするのは誰か?
コンピュータが自身でセットできるわけないのと同様、脳の働きはは、第三者に負うという結論になる。わかりやすく表現すれば、「神」と同義である。

私自身が創造主なのかもしれない。


…周りの(宇宙の)すべての存在は私が創造したもの?

もう一方の「人間こそが真の創造主である」説を三つ紹介する。

量子論でいうところの、「自分が観察することで物質が出現する」のであれば、自分が世界を創造している事になりはしないか。

❷また心理学で言うところの、「相手の振る舞いは自分の思い込みでそのように振舞っていると単に決めつけている」のであれば、やはり実質的に自分が人びととの関係を創造しているとは言えないだろうか。

ヌーソロジー
『素粒子は自分自身であり、目に見えている世界はその素粒子が
  反転した鏡像である」


★ここに至っては、それをイメージすることすら不可能かもしれない。
しかし、これらの常識を超越した発想の中にこそ、現在の行き詰まって見えるサイエンス界の状況を打破する“真の宇宙像“への方向性かもしれない。
実際、何人もの正統派物理学者が賛同し、共同研究を進めている。

要するに、既存の科学的知見を視野に入れつつ展開しているところが単なる「とんでも論」とは一線を画している。
ちなみに創始者の半田広宣氏は怪しげな人物ではなく、武蔵野大学客員教授でもある。

ただし、これをこの場で解説するには膨大な文字数を必要とするので別の機会に譲る。


(初めてこの説のことを聞いた人は、すごくわかりやすい若い女性のブログとYouTubeがあります。「natan ブログ」でググってみてください)



[参考]
一人一つの宇宙論
[現在の宇宙の延長線上にある苫米地流ビッグバン理論]

皆さんにはおそらくファンタジー的要素が強すぎるため番外編とした。

「苫米地宇宙論」という本がある。その論旨を紹介する。

「身体」という、耐久年数がある部品の交換を繰り返す結果、未来には脳だけの“自分”しか存在しなくなる。
その自分は寂しさのあまり、他の宇宙の持ち主たち(自分と同様の存在)と交流を図ることを思いついた結果が、ビッグバンである。
それによって新たな宇宙を創造することとなる。
それこそが、ふたたび肉体を持つことになった「現在の人間」というわけだ。
すなわち、『未来の自分こそが、神(創造主)である』

IQが計測不能である200超を何度測っても超えてしまうという頭脳の持ち主、苫米地英人氏のこの思考をやはり“とんでも説“と片付けずに、素直に受け入れてみるのはいかが?
個人的には、彼のアカデミック•バックグラウンド等から始まるキャリア(実積)は正当なものとして
評価しています。

その柔軟さはあなたの人生観を大転換させるきっかけになるかも。
何しろ博士自身は、至ってまじめに論じて一冊の著書に記しているのですから。


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