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新婚旅行は沖縄~世論島:1981年1月17日以後

私は山口県の男子校卒で女気無し
大学は福岡大学工学部土木工学科で
これも女気無し
就職先も当然土木なので
女気無しです。

1980年4月に突然可愛い
受付嬢が入社しました。
まわりはみんな独身野郎
壮絶な争奪戦でした。

当時私は、軽ですが、スズキアルト
をもっていました。
これはデートに便利でしたね。
家も父の交通事故の慰謝料で
購入した一軒家もちです。
これは当時流行った
「家付き、カー付き、婆無し」
の条件を満たしていますね。

即座に交際が始まりました。
妻の両親にも気に入られ
ふじみ野市から当時の実家
「福生」までは、ドライブで
簡単に行けました。
何しろ家族を含めての付き合いなので
話はとんとん拍子に進み
プロポーズしたのはその年の夏でした。
 
そして、その年の年末に結納をかわす
こととなります。
 
新婚旅行の費用は、冬のボーナスが
当時6か月出たので
それをそっくり回しました。
行先は、フィリッピンセブ島の
エメラルドグリーンが忘れられず
世論島を提案しました。
 
結婚記念日は1981年1月17日
ですが、これは入籍した日です。
結婚式ツアーの関係もあり
結婚式はもう少し後にしたのですが
日取りは覚えていません。
 
結婚式場は、当時「全国勤労青少年会館」
と呼ばれていた、「中野サンプラザ」
結婚式などの費用も結構お得でした。
(写真は後年のもので、サンプラザか
どうかよくわからない)
 


結婚式の二次会を終え、
羽田の近くの「たしかプリンスホテル」
に宿泊
早朝に出発、羽田空港から
沖縄の那覇空港に到着
空港にセスナらしきものが
いました。
 


 
ツアーは移動だけ制約があり
基本的には、自由行動で、
私たちは、ハイヤーをやとい
那覇市から、ひめゆりの塔まで
行きました。
 
 




その夜は、那覇のホテルで一泊
豪華なディナーを堪能しました。
 
次の日の早朝、フェリーに乗り
与論島に向かいました。
二等船室で、ゆれも激しく
妻は激しい船酔いに襲われました。
船長の行為で、一等船室に移動させていただき
船酔いはおさまりました。
 
与論に着くと。レンタカーを借りました。
くるまで島内1週1時間もかからないので
ゆっくり見学できます。
 


ちょっと記念撮影
まだ若いですね。
 

 
あとは与論島の景色
 



 


ワンちゃんが海辺にいたのが
印象的な光景でした。
妻が「あの子達は私たちなのかしら?」
 

 
与論のホテルに戻ると
私たちは、当時流行った「パックマン」
を夜遅くまで熱中してやっていました。
新婚旅行で「パックマン」をやるのは
私たちだけでした。
一組のカップルがなぜか
ごきげんななめで、無口でした。
何があったか聞けないですよね。
 
新婚旅行の思い出と聞かれれば
私は「海」で
妻は「わんちゃんとパックマン」です。



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