見出し画像

不死だと思ってたって話

子供のころ、生きとし生けるものすべて不死だと思っていた。
何らかの死に至る要因がない限り基本老いて、ある一定の年齢まで達したらずっとおじいちゃん、おばあちゃんの姿のまま生き続けると思っていた。
老衰や寿命という概念がなかった。

生きている限りいずれは死ぬ、そのことを知ったきっかけは「なかよし」の読み切りで死神と女子高生のラブコメっぽいマンガを読んだことからだ。小学校低学年の頃だった。
内容はほとんど覚えてないけど、そこで死神が”遅かれ早かれ人間最後は死ぬ”的な感じのこと言ってたっぽい気がする(おぼろげ)。

私は混乱した。
「え?そんなことないでしょ???ずっと生きるでしょ????あれ?何言ってんの……、え、こわ……………ねえ、お母さーん、これどういうことー?お母さーん?……お母さ~~~ん???お母さん出かけた~~~??????」

もうパニック。大騒ぎ。

買い物から帰ってきた母に真実を問うてみたところ、どうやらその死神のセリフは本当だったっぽい。怖い。死ぬとか怖すぎ。
大事な人達ともいずれ死に別れるって確定してるらしい。つらすぎ。

その日から私はずーっとメソメソしていた。
自分が死ぬときのことを考えては泣き、今頃家族の誰かになにかが起こっていたらどうしよう、もう会えなくなったらどうしよう、と心配しては泣いていた。
母が大好きな織田裕二のドラマ「お金がない!」のEDテーマに”死んでも俺の腕を離すな”という歌詞がある。再放送を録画していたらしいそれを母が再生するたび”死んでも~”の部分に反応して震えた。
”死”にまつわるワードのすべてが悲しくて怖ろしかった。

同級生が鼻垂らしてのんきにジャングルジム上ったり授業中ふざけたりしてると「めっちゃ笑ってるけどみんないずれ死ぬ……」と思っていたし、幼馴染で虚言癖のある近所のお姉ちゃんが「私も昔からピアノ習ってるよ」と謎の嘘をついているときも「昨日この人の妹が”お姉ちゃんは習い事してないよ”って言ってたよな…また嘘ついてる……あとこのお姉ちゃんもいずれ死ぬ……」と思いながら「そうなんだ」と適当に返事をしていた。
今まで過ごしていた日常の光景に靄がかかったように見えていた。マジでずっと憂鬱だった。
みんなはまだ知らないのだろうか?いずれ死ぬってこと。だとしたらうらやましい。こんなこと知りたくなかった。
知っていて平気な顔をしているとしたら、それはもう、すごい。一生ついていきたい。

こんなこと考えているとは誰にも言えず、家に帰れば一人でメソメソしていたものだから両親は学校でイジメられでもしてるのかと心配していた。
なんで泣いてるか聞かれても言えない。とりあえずイジメられてはいないことだけ伝えた。
「じゃあ何があったの」と思ったのだろう。より心配された。申し訳ない。

思えばそれを知る前から、何をしてても、どんなにうれしいことや楽しいことがあっても、100パーセントその時間を楽しめたことなんてなかったかもしれない。
憂鬱の原因がわかってなかっただけで、本当は「この幸せな時間がずっと続くことはない」とどこかで感じていた。
原因を知ったことでますます落ち込んだ。自分の意思で逃れられることではないのだと思うと、絶望でしかなかった。
こんなことばかり考えている子供だった。


大人になった今でも、いつもどこか悲しい気持ちがぴったりと寄り添ってついてくる。
あの頃感じていた、世界が真っ暗になるような苦しみは完全には晴れていない。

だけどあれから20年は経っている。
目下、私には”めっちゃ元気で強いババアになる”という目標があるのであの頃よりはかなり人生に前向きになってるはずだ。さすがに。

いろいろな別れも経験して、生きてるのがつらいと思うこともあった。あったというかわりとよくある。あるけど、死ぬのは怖い。失うのもめちゃくちゃつらい。

これからもこの堂々巡りは続くけど、持ち前のやたらセンチメンタルな部分も大事にしたまま”強バア”目指していきます。

まずは筋トレ再開します(ずっとサボってました)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?