怪談「全裸中年男性」

午前二時、自室。ベッドの上。
トウコは目を覚ました。
部屋は暗く静まりかえり、物音はない。

(ああ、嫌だ)
トウコがそう思うと、パチッと音がした。
息を呑む。
単純なラップ音にすら、トウコは怯えるようになっていた。
それには理由がある。

(まただ、また身体が動かない…!)
金縛り。ここの所、毎晩だ。

ラップ音、金縛り。ここまでくれば、起こることは知れている。

「シテ…ウシテ…シテ…シテ…」

(ああ、ああ、きた、きた)
トウコはギュと目を瞑った。
また来た。今日も。アイツが。

どた、どた、と音がする。何かが歩く音。
微妙に張り付くようなそれは、にしゃ、と音をさせて床から剥がれる。
そしてまた、どた、と落ちるのだ。

トウコは目を固く瞑っていたが、どたどたという音に、恐ろしさを覚え、とうとう耐えきれなくなって、薄く目を開けた。

(ああ、また同じやつだ、こいつだ!)

男だ。裸だ。
裸の中年男性が、トウコの部屋でどたどたと暴れているのだ。
恐ろしいなどというものではない。異常事態だ。

トウコとて、全裸の中年男性が部屋にいるのだから、体が動けば今すぐにでも110番通報をしたい。だが、金縛りで出来ない。なんという恐怖!

「シテ…ウシテ…」

(何…何を言っているの…何か望みがあるの…?)
全裸中年男性は何かを言っている。
トウコは必死に耳を澄ました。もしかしたら、この全裸中年男性の望みを叶えれば、解放されるかも知れないと思ったからだ。

「タイコウシテ…タイコウシテ!対抗して!」

(対抗なんて出来るわけない!裸なんだから!!)
トウコの叫びは声とはならなかった。
そもそも一体何に対抗しようというのか。いや、何に対抗できるわけもない。裸なのだから。

全裸中年男性はそれでも必死に対抗しようと、どたどたと暴れている。
その姿は、恐ろしさより滑稽ですらあったが、何よりも哀れだった。

「ワシの…マッコウクジラ!!!」

全裸中年男性は叫んだ。そして股間を突き出した。
トウコは見た!男性の股間を!

(コガシラネズミイルカだ!)
コガシラネズミイルカとは、最小のクジラの仲間だ。
トウコはマッコウクジラと言って差し出された全裸中年男性の股間がダイオウイカどころかヒメコウイカすら捕食できないサイズだったことに驚いたのだ。

いや、問題はヒメコウイカではない。
全裸中年男性のネズミイルカが、一向にミンククジラになっていないことだ。トウコは、はた、と気づいた。

(この全裸中年男性は、自分のバンドウイルカがキラーホエールにならなくなったことが無念で出てきているのかも知れない…!)

全裸中年男性の目は悲しげだ。
きっと、男としての自信がイエス高須クリニックしなくなったことを無念に思い、夜な夜なトウコの部屋で対抗しているのだ。

(迷惑!!!)
別の所でやってほしい。心の底からトウコはそう思った。

「ハッテン!!ハッテン!!ハッテン!!」

全裸中年男性が激しく暴れだした。なにかの前触れであろうか。

パチッ!パチッ!パチッ!パチッ!
ラップ音だ!どこかから、激しいラップ音がする!

いや、違う。ラップ音ではない。
全裸中年男性が自分のケツを叩いているのだ!

(もう帰れ!!)
トウコの叫びは言葉とはならない。
もはや心霊現象ではない。全裸中年男性の不法侵入だ。
立派な刑事事件。自分にはセラピーを受ける権利がある。

パチッ!パチッ!パチッ!パチッ!

ラップ音はいよいよ激しくなり、全裸中年男性が激しい動きとともにベッドに近寄ってきている。トウコは危険を感じた。

(もしかして、私のケツを叩くつもり!?)

いや、そう思ったら徐々に離れていく。
ただただ、加齢からか足腰が弱く、姿勢と居場所を保持できないだけだ!

「ハッテン!ハ…ハッテン!ハァハッテンハァ…!」

激しく自分のケツを叩く男を見ながら、トウコは気が遠くなった。
自分は何を見せられているのだろうか。

全裸中年男性にもきっと無念があるのだろう。
だが心の底からどうでもいい。
寝たい。明日も仕事だ。

そう思った瞬間、フッと身体が楽になり、金縛りが解けた。
同時に、全裸中年男性も消えた。

床には一枚のブリーフが落ちていた。
トウコは、ここで脱いだのか、と思い、ゴミ箱に捨てようとして思いとどまった。そして、ブリーフを洗濯機に入れると、洗濯し、干した。

翌朝、干したブリーフはなくなっていた。
不思議なことに、その日から全裸中年男性は現れなくなった。

それは、一枚のブリーフの怨念だったのか、それとも異常者の不法侵入だったのか……真実は、揚子江の水のように判然としない。

【終】


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