平成生まれ、平成育ちのオタクが、令和について想うこと
※2019年5月7日のブログ記事より。
既に数日が経ってしまっているが、元号が令和に変わった。
友人に「令和おめでとう!」というLINEスタンプを送って、今年2度目のお正月のような気分を勝手に味わっていた筆者である。
***************
普段声優の記事ばかり書いているオタクだ。
でも別にネット右翼(ネトウヨ)ではない。特にネトウヨの友人もいない。
もちろん今でも5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)などを覗くと過激な意見も見受けられるけれど、一時期のようなピークは過ぎた印象を持っている。
現在ネトウヨがどれくらいの人数や力を誇っているのか、個人的には謎だ。
「しんどい」とか「沼」とか、ポジティブな意味合いのオタク用語はそれなりに使う。
でも「在日」とか「チョン」とか、差別的なネットスラングだけは絶対に使わない。
***************
オタクだから、戦(いくさ)は好きだ。
幕末や戦国時代の、侍同士の決闘シーンとか超かっこいい。
でも戦争は嫌いだ。
今の時代の大量破壊兵器同士の戦いは、どう足掻いても市民を巻き込む。
遅くに生まれた子供だったので、平成生まれにしては珍しく、おじいちゃんが2人とも戦争に行っている。
母方のおじいちゃんはしっかり者で、上官から飲み水を奪われている兵士を守ろうとした(これが上官に対する反抗的態度に見えた)せいで、比較的安泰だった満州からボルネオ島のジャングルに飛ばされて、餓死直前までさ迷い歩いていた。おばあちゃんは、帰国したおじいちゃんのあまりの痩せぶりに驚愕したらしい。母方のおじいちゃんは、90歳を過ぎて介護型老人ホームに入ってからも、テレビの明かりを見て「戦争を思い出す」(野火か何かに見えたのかしら?)などと言って、私が泣くまで戦争の話をしてくれた。
父方のおじいちゃんはちゃっかり者で、上官にうまく取り入って、地図を書くだけの簡単なお仕事にありつき、極寒のソ連の地でそれなりに悪くない生活をしていたようだ。おばあちゃんは、帰国したおじいちゃんが若干太っていたことに驚愕したらしい。さすがに父方のおじいちゃんも罪悪感のような気持ちはあったみたいで、戦争についてはあんまり語らなかった。ただおじいちゃんの旧友と一緒に3人で映画「硫黄島の手紙」を見に行こうと提案してくれたときは、何かしら孫に伝えたいものがあったのかもしれない。
まぁ今風の言葉にまとめると、“戦時中におけるパワハラ被害者・加害者の縮図”だ。
戦時中にも、色んな立場の人がいたのだ。
異なる立場の、異なる意見を知れた私は、本当にラッキーだったのだと思う。
どちらのおじいちゃんも孫の私に甘くて、優しくて、大好きだったけど、戦争については、最期まで孫に大切なことを伝えようとし続けてくれた母方のおじいちゃんの意思を受け継ぎたい。
***************
そもそも世の中が平和でなくなってしまったら、今当たり前のように楽しんでいるオタク活動ができなくなってしまう。
そんな大変なことはない。
…いやまぁそれだけではなく、当たり前のように一緒に過ごしている大切な家族や友人が、急にいなくなってしまうかもしれないのだ。
そんな悲しいことはない。
***************
天皇制については肯定的な意見を持っている。
でもそれは、明仁上皇の存在ゆえかもしれない。
明仁上皇は、確固たる平和主義者だ。
最近のWebニュースや海外のテレビ番組は、そこそこ踏み込んだ内容を教えてくれる。安倍首相の憲法改正について、言葉を選びながらも断固として反対し続けたらしい。
どこまで真実なのかは定かではないが、それでも私たちが当たり前のように平和を享受できる時代へと、見えにくいところで導いてくださっていたのだと思う。
これから徳仁天皇が紡ぎあげていく時代が、どうか同じように平和でありますように。
そんなことをぼんやり想いながら、今日も忙しくオタク活動に勤しむ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?