言葉で人は殺せる、そして言葉で人は救える。

サンドバッグだと思って言葉の暴力を浴びせていたら、倒れた瞬間にそれがサンドバッグではなくて人間だったことに気づく。
そんな恐ろしいことが、SNSでは起こりうるのだ。

テラスハウスやプロレスに馴染みがない人にとっても、木村花さんの逝去は相当ショッキングなニュースだった。
連日ワイドショーは「誹謗中傷」の話で持ち切りだ。

でも何というか、色々な有名人の発言を聞いていると、「誹謗中傷に対する誹謗中傷」になってしまっているケースも多い。
目には目を……というよりも、どんぐりの背比べ。
もしこれで木村花さんに対して誹謗中傷のコメントをした人が自殺をしてしまったら、どうなるのだろう?
ただ連鎖的に被害者が増えていくだけなのではないだろうか?

「誹謗中傷」をネット上のイジメと考えるならば

個人的な話だが、昔小学5年生のとき、運悪くなかなか荒れたクラスに入ってしまったことがあった。
一部の“強い子たち”の気分でイジメのターゲットが1ヶ月ごとに変わり、一時私もいわゆる“グループ”からハブられ、つらい日々を過ごした。

でもつらい日々の中で、1人だけ「大丈夫?」と声を掛けてくれた子がいた。
結構あっけらかんとした子で、別にそれ以降一緒に遊ぶわけでもなく、友達になるわけでもなく、ただそのとき一瞬「大丈夫?」と声を掛けてくれただけだったのだが、ものすごく救われた気がした。

木村花さんに対する過去の誹謗中傷を眺めているとき、私は数々の暴言以上に、一言も「大丈夫?」というコメントがないことの方が気にかかる。
子供のイジメに関して我々大人たちは散々「傍観者も加害者だ!」などと言ってきたけれど、かくいう大人たちはSNS上の誹謗中傷を随分とスルーしているのだ

「適切な対応」とは?

菅官房長官は、誹謗中傷に対して「適切に対応を図っていく」と語った。

でもどうしても、この世の中には“ヤベー奴”というのは一定数いるし、彼らの言動は法律云々では簡単に変えられない。
そしてまた同時に、この世の中には“心の弱い人間”も一定数いて、彼らもまた簡単には強くなれない。

今すぐに、私たちにできること。
それは、傷ついている人に対して「大丈夫?」と声を掛けてあげることだと思う。
木村花さんの悪者探しに躍起になってしまっている今この瞬間にも、誹謗中傷で傷ついている人は何万人といるはずだから。

言葉で人は殺せる、そして言葉で人は救える。

以前「推しのライブが中止になった」という記事でも触れたけれど、SNSがありきたりなツールとなっている現在、ファンの持つ力は絶大だ。
自分が応援している人に、ダイレクトに言葉が届く。

木村花さんの逝去を受けて、「言葉で人は殺せる」というSNSの負の側面がクローズアップされているが、同時に「言葉で人は救える」のも事実だ。

もし応援している人のコメント欄が荒れていたら、「大丈夫?私は応援しているよ!」などと声を掛けてあげよう。
たった一言でいいのだ。
たった一言でコメント欄の流れが変わるかもしれないし、たった一言でその人の気持ちが少し楽になるかもしれない。

扱い方次第で、言葉は凶器にも花束にもなる
こんな今だからこそ、「言葉を凶器にしない方法」を探すのではなく、「言葉を花束にする方法」を私は探したい。

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