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もっと毒だらけで生きてもいいのではないか、という話

「あの人いい人だよね」
っていういい人って、一体どういう人のことを指すのだろうか


こんにちは、さとうの塩漬けです。
私は一時期、いい人であることが最上のことだと思っていた時期があるし、

全ての人はいい人なので、もし害をなされたのであれば、それは私がいい人ではなかったからなのだ。

というメンヘラまっしぐらになりそうなことを考えていた時期がある。なりそうなのではない、メンヘラだったと思う。

私の中のいい人というと、
・なるべく否定をしない
・助けを求められたら答える
・頼まれたら断らない
・優しい

みたいな、押しに弱い系ふんわり人間のことを指していた。
今は違う。今はいい人なんていないと思っている。好い人はいるかもしれないし、善良な人間でいることはとっても大切だけど、いい人はいない。(と思っている)
あくまで自分から見た時の「いい人」って、都合のいい人なんだよな、と考えるようになった。

一時期いい人ごっこを本気でやっていたから言うけれど、何も良いことなかったな、いい人でいて。

世の中に、いい人でありたい人がどのくらいいるのかは全く推し測れないけれども、いい人をサッサとやめるが、自分にとっても周りにとっても吉だということを私は痛感した。


嫌なことをされても苦笑いでやり過ごす、不条理には目をつむり自分にできる最大限のことをしてあげる、リターンは1ミリもないのに優しくしてしまう

社会で生きていくのに多少必要なスキルだな、と思う反面、これを徹底しすぎると間違いなく自分が崩壊する

優しい人は、そのまま誰かに付け入られる。ただ吐き出したい人、自分の毒を撒き散らす人、足を引っ張る人。
これらの人のことを受け入れる度量があることが優しいことであるとでもいうように我慢してしまう。まあこれは優しさではないし。

でもそれじゃダメなのだ。
自分の人生は自分のために生きなければ。いい人をやって他人のために割く時間などない。もちろん、自分が優しくしたい人にはしたらいいと思う。けれども、なんとなく「いい人」でいたいから「いい人」をやっているのであれば、やめたらいいんじゃないかな、と思うのです。


いい人をやっていることが辛いなあ、と思う人はさっさとやめちゃっていいのです。


テキスト:さとうの塩漬け
編集:菊地 和俊

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