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2話 妹たちの誕生

 さらに一年もしないうちに、また妊娠が判明した。
 そしてその頃、新しい家を建てた。
 1歳の私に、ゼロ歳の妹、お腹の中の子供を抱えて、母は引っ越しの荷物を運んだらしい。
 父はと言えば、家を建てていた。
 土地は父の父祖父から贈られたものだった。

 引っ越して来てから はーちゃんが産まれた。
 私は2歳。ほっちゃん上の妹は1歳になっていた。
 私にとって妹たちとは『物心がつく前から、傍にいた』存在だった。

 母は私と妹たちの子育てに追われた。
 さらに、子供が寝ている時間に父が仕事を手伝えと言ってきたらしい。
 渋る母に父は
「寝ているから大丈夫」
 と連れ出したそうだ。

 もちろん、大丈夫ではない。
 起きだした私は、道路のど真ん中で泣いていた。
 近所のおじいさんが私に気が付いて、私を抱っこしていたらしい。
 帰って来た母はこのおじいさんに、怒られたと言っていた。

 父にもこの話をしたそうだが、父は「何もなかったんだから」で終わった。
 それ以降、母は父の仕事の手伝いは一切しなくなった。
 子供が寝ていても大丈夫ではないからだ。

 下の妹が生まれた頃だというので、おそらくこの時期。
 あんちゃん母の兄が亡くなった。
 ずっと病死だと聞いていたが、実は自殺だったらしい。
 家を継がなければいけない重圧や、仕事にうまく馴染なじめない悩みなどいろいろあったのかもしれない。
 男である事や、兄である事で相談など誰にも出来なかったのだろうと母は思ったらしい。
 それでも、周囲にも『おかしさ』は伝わるほど、異変はあった。
 暴力的で怒り易くなったと、当時、あんちゃんと同居していた人が母に伝えていた。
 あんちゃんのお葬式では、近所からも「戦争で生きたくても、死んだ人がいるのに」などと言う声が出た。
 そんな事もあって、私たちには長く『自殺』であることが伏せられていた。

 祖父母は息子をなくすと同時に、『家を継ぐ者』もなくした。
 そこにやってくるのは親戚一同である。
 親戚から「養子をとって、家を継がせろ」という話が出たらしい。
 親戚たちにとっては、娘たちはすでに家を出た『他人』であり、『家を継がない、よそ者』なのである。
 そこに意見をしたのは、これまた『よそ者』の父だった。
娘達母と伯母の事がいるのに、養子なんていらない」と言ったそうだ。
 もちろん、親戚たちからは「よそ者が口を出すな!!」と、たたかれた。

 産まれたばかりの下の妹を養子に……なんて話まで出たそうだが、それもまた消えてしまって実現はしていない。

 祖父母は養子をとらなかった。『家が消える』覚悟はしていたのだろう。
 その後、持っていた土地の大半を売り払って、旅行など悠々自適な老後を過ごした。






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