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ご縁

最近、というか大学入学以降いろいろな縁に恵まれていると感じます

子供の頃は特にそう感じなかったけど、今でも連絡を取り合っている中高時代の友達がいることを考えれば、あれは良い縁だったんだと思います
特に、地元に残っている子は年に一回しか会えないのにどうでもいい馬鹿話をするために時間を割いてくれて、たまに気分が落ち込んだときには「電話するよ」と声をかけてくれる。なんともありがたいことです

大学でもたくさんの縁に恵まれていると感じます
私の講義が終わるのをわざわざ(2時間近くも)待っていてくれて一緒にご飯に付き合ってくれる友人、ゼミに所属しているわけでも講義をとったことがあるわけでもないのにメールをしたらオフィスアワーを使って質問に答えてくださったりわざわざ資料を用意したりしてくださる教授、忙しい合間を縫って私が納得するまで議論に応じてくださるゼミの教員(この前、ゼミ後に2時間にわたって質問に答えてくださいました。家庭もある教授なのに終わったのが21時...これはこれはさすがに反省です)

SNSでもです。私はその人に特に何もできていないのに、DMやリプで優しい言葉を掛けてくださる方や応援してくださる方がたくさんいらっしゃいます


本当にありがたいことです。でも先日、ある社会人の方にこんな言葉を掛けられました

「損得抜きに付き合えるのは大学時代までの友人と、せいぜい新卒の同期くらいだ(だから、今の友人を絶対に大事にしなさい)」と。
その方曰く、社会人になってから出会う人間は、それが同期であれ取引相手であれ趣味等を通じて出会った他人であれ、恋人や結婚相手であれ「自分にとってその人と付き合うことにメリットがあるかないかで付き合いを決めてしまう」とのことでした

確かに、自分にとってデメリットしかない相手と付き合うのはただの体力の消耗ですし、非合理的です

でも、私はこれまでそんな非合理的な判断をする人間に支えられてきました。ゼミの教員はまだしも、私が講義をとってすらいない教員は私の質問に答えるメリットは全くないはずです。時間は拘束されるし、私が来るから研究室にいないといけない。一介の学部生の質問に答えたからと言って知見が広がるわけでもお給料が増えるわけでもない。だからもしこの教授が合理的で自分にとってメリットがある相手とだけ付き合う人なら私はその教授に質問することはできませんでした。
SNS上で応援してくださる方も同じです。私を応援しても、私からお金を払うほど私にはお金がないし、褒められるわけでも何かリターンがあるわけでもない。合理的に考えればそんな状況で私に優しい言葉を掛けることにメリットはありません。でも、実際にこのnoteのフォロワーさんは良くいいねを押してくださって優しい言葉を掛けてくださる…

非合理的でも、時間の無駄になるかもしれないくても、付き合うことにメリットがない相手と向き合うことがその人を助けることがあるのだと身をもって感じています

私も、将来自分の損得に関係なく多くの人と付き合い、多くの人にやさしくできる優しさを持った大人になりたいです 


都内の大学では一部でワクチンの接種が始まりました。看護師さんの友人がすでに二回打って、発熱等の副反応が大変だったのを知っているので接種は怖いですが…早く抗体を作って友達と気兼ねなくご飯に行ける日を楽しみにしたいと思います!

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