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5/11 - 12 ぶちあけタイム 04

繋がりが欲しいのに避けてしまうのは何故。

1年間継続する、とあるプログラムに関わり始めた。

約1年後にどうなってたいかを思い浮かべて自ら動いていく。

だからこそ、意識するようになった。

だからこそ、インターンで仕事をしていても、
「私は仕事とかを通して何が欲しいんだろう?何があったら満足するんだろう??」
と考えることがよくある。

安心?Give and Take (見返りを求める関係) じゃなく、Give and Given(相手にただ与える関係)の人との繋がり??

なんとなくは分かってる感じがする。
けど、なんだかしっくりこない。

昨日はいろいろ、考えながら1日を過ごしていた。そしたら考え疲れなのかもしれない。なんか疲れてしまった笑

でも、一旦寝て、頭痛いながらもすっきりしたから、いろいろ頭の中にぐるぐるしてたことを書き出してみようと思う。

「ママとパパは私をわかってくれない」 

若い頃、体験して、もう2度と経験したくないこと。それを経験しないために、子供ながら決め事をする。

それがその時は両親に対してであることが多い。けど、2度と経験したくないから、かつ歳をとるごとに一般化するから。みんなに対してもその決めた対応や考えを思いがち、やりがちだ、と聞いた。

私がそれを聞いた時に思い出す原体験のようなものは2つある。

❶ 妹と大ゲンカしてクソ怒られたこと
❷ 親友に裏切られていじめられたこと

1つ目は、確か小学校低学年の頃だった気がする。

勉強中に音楽を歌うか歌わないかで喧嘩した。

クソくだらない理由だった。

でも、お互いが意地を張って、口喧嘩、悪態のつきあいが止まらなかった。

そして、私がつい手を出してしまった。
そこからヒートアップした。

腕を引っ掻いて、引っかかれて。腕掴まれて倒されて。倒してガッってやられて。

その物音に気付いてパパさんが止めた。

でも、そこでパパさんはこう言った。

「なんで姉なのに、我慢しなかったんだ!!!」

怒ってた。ひたすら怖かった。めちゃくちゃ怖かった。
確か先に手を出したのが悪い。私が悪かった。

けど、その時は、なんか「私は悪くない」と信じ込んでいた。

だからこそ、

なんでわかってくれないの?ねぇ、なんで??

それが私の頭を駆け巡ったのを今でも覚えている。

そこから、私は
「両親は私のことをわかってくれない」と
決めたのかもしれない。

姉だから、姉にふさわしいように。両親の期待に応えるように。

そう意識し始めたのもこのころからだった。

「分かってもらおうと動いちゃダメだ」

2度と経験したくない2つ目のことは、
小学校5年生くらいだった。

家から歩いて10分くらいの学校に通っていた。そのクラスには、何年か続けて仲のいい友達がいた。

仲のいい4人グループだった。
2学期ぐらいだった。先生に隠れて、秘密日記を始めた。4人で回していた。

しかし、突然、そのうちの1人が家庭の事情であまり遊べなくなってしまった。

そこから、その子がいじめられるようになった。

それをおかしいと思った私は、そのグループ以外の仲のいい友達に相談することにした。

勇気を出して、言ってみた。

「ねぇ!ちょっと相談してもいい? ○○ちゃんが☆☆ちゃんにいじめられてて、こういうところがおかしいと思うんだけど....」

そのくらいで、
リーダー格の子が廊下を曲がってこっちに来るのが見えた。

黙った。緊張の瞬間だった。
その時は何もなかった。安心した。

でも、次、教室に戻った時。
違った。

コソコソみんなが話していた。
相談したはずの子もコソコソしていた。

なんだ?と思ってたら、次の日から仲よかった子達からハブられていた。

そこから、ひたすら辛かった。
中学校でも殆ど同じメンツで、合わせて、嫌われないのに必死だった。

合わせるのは嫌なのに、嫌われたくないから、合わせて。自己嫌悪の塊の時期だった。

この時に学んだことは、

「自分から分かってもらおうと動いてもダメだ」

だった。

そこから、

みんなは私のことをわかってくれない。
わかってしてもらおうと、自分から取りに行ってはダメだ。

そう思うようになった。

だからこそ、
人と距離をとるようになって。
自ら人に飛び込むのを辞めて。

友達が、深いつながりの仲間が欲しいくせに、
距離を取ってしまう。
なんだか居心地が悪くなってしまう。

そんなことが多くなっていた。寂しい、甘えん坊なくせにね。

だからこその 「なでて」

寂しん坊だから。甘えん坊だから。
バチクソ構ってちゃんだからこそ。

最近は、自分から取りに行くことを意識している。

謎の不安感というか、孤独感に包まれがちだから。
繋がりを感じないことが多いからこそ。

自分から「なでて」と言って、
一時的でも、嬉しさと照れくささと満たされ感がある。

だからこそ、取りに行く。

特にこの間嬉しかったのは、
「なでて」と言いまくってたら、
他の人も「じゃあ、私も! (なでてもらって)・・・なんかいいね!照れくさいけど!w」

そう言ってくれた人がいたことだ。

多分、自分がなでてほしいって感じるのは、
20歳のくせに大人びてきてしまった分を取り戻すように「甘えたい」からだと思う。

甘えてると妹でいれる。自分主体でいれる。素直でいれる。
変に、自分を取り繕わなくていい、というか。

普段、
年上の、しっかりして、大人になった人に囲まれて、まるで25歳なように行動してる気がする。

生き急いでる感じがするし、ちゃんとしなきゃ。完璧でいなきゃっていう思い込みがあるからこそ、そんな自分が嫌で、辛い。

だから。そのままじゃ辛いってのがわかってるからこそ、
自ら「甘えて取りに行く」んだと思う。

できる限りしたいことをする。
してもらいたいことは自分から取りに行く。

その方が、拗ねて、向こうから甘やかしにやってくるまで、いじけ続けなくていいのかもしれない。

全てが「拗ねる」×「諦めの悪さ」で突き通せるわけじゃないしね笑

特に相手が絡んでる場合は、諦めの良さも大事!w 相手をコントロールできるわけでもないし!

なので、ぜひ、私のことをなでてください!笑笑お願いしまーす!!








読んでくれて、めちゃめちゃありがとう。 もうたまらなく好き。なんだろう、心がほかほかする感じがする。 暖かさをありがとう...!自分を褒めたいとおもいます🌷