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七夕の願い事「拍手喝采、笑顔でカーテンコール」を

絶望ばかりで、何かを前向きに願うことなど
ほとんどしてこなかった私。

しかし、2024年七夕。
初めて、願いたいことが出来た。

私を救ってくれたお星さんに
「拍手喝采、笑顔でカーテンコール」を

結末を早く知りたい方は
「せめて、星に願いを」までスキップ


もしも願いが叶うなら

「お星さん、この人生が早く終われ、と思うの」

私が通っている、就労支援の事業所。
ある日、私は週1回の定期面談で
担当支援員のお星さんの前で涙を流した。

「生きるって『修行』やな、って私は思ってる。
私も生きるのつらいもん」
お星さんは、人生にうんざりしたご様子で
返事される。

でも、私が前向きになれるようにと
言葉をかけてくださる。

「ゆめさんは、どこで暮らしたい?」
「ゆめさんは、どんな風に過ごしたい?」
「もしご両親のことを気にしなくて良いなら
どうしたい?」
「実現するかは置いといて
叶えたいことはある?」

なにも問題は解決しないけど
先のことを考えるだけで
少し心持ちは変わり、また頑張りたいと思えた。
お星さんの将来の夢を聞くだけでも
活力が湧いた。

「お星さんの夢が叶うのを
見届けるまでは、生きるわ」
どこまで頑張れば良いかが決まれば
まだ生きられる気がした。

しかし、その効果は長く続かなかった。


蝕まれる心

就活のストレス、両親の夫婦喧嘩、
喧嘩後の情緒的ケア、
名前を誰からも呼ばれない寂しさ、
事業所で一緒に過ごす利用者さんに
合わせることへのストレス、
人事異動で、支援員さんの3分の1が
入れ替わったことによる環境変化。

家では相変わらず
なんなら悪化している孤独。
事業所で起きる変化に
ついていこうとしない心。
障害の特性による
環境への過剰適応に疲れる体。

お星さんに、私はつぶやく。
「もう、生きる努力、やめるわ」

何日も、何度も、
時には全身の痛みに呼吸を奪われそうになりながら
涙に声を奪われそうになりながら
きつい物言いも混ざりながら
お星さんに感情をぶちまける。

まるで、当たったら痛い・破片で皮膚が切れる
・出てきた中身でヤケドする、
火炎瓶をぶつけるように。


ただの一度も・・・

お星さんは、静かに返事される。

「私の夢が叶うのを
見届けてくれるんじゃなかったの?」
「まだ私、夢を叶えられてないよ?」
「というか・・・私の夢が叶った瞬間、どこかで
あなたは〇んでしまうの?私がつらいやん」

私が〇にたくなる理由が、客観的に明確な時は
その事象について、慰めや応援をくださった。

たくさん言葉をかけていただき、
数え切れないほど、救われた。
お星さんには、感謝してもしきれない。

そこで気づいた。

お星さんに、ただの一度も
「生きて」も「〇なないで」も
言われたことがない
ことを。
そして、それが一番の救いになっていることを。


だって無責任やん

「お星さん、ありがとう」
「なにが?」

「お星さんは「生きて」も「〇なないで」も
言わないから。どれほどそれだけで、
私が救われたことか」

感謝する私に、お星さんは即答する。


「だって無責任やん」

ホンマは生きてほしいよ。
〇んでほしくないよ。
でも、その人の人生やん。

「いつか良いことあるよ」の
『良いこと』っていつ起きるか、
そもそも起きるか、
起きたとて、それをその人が
『良いこと』と捉えられるか。

全然わからへんやん。責任とれへんのに
勝手に外野が「生きて」とか
言ったらアカンと思う。

だから、別の角度からなんとか前向きに
なってくれへんかな~って、頑張るんよ


すごく腑に落ちたし、納得できた。
そして、切り捨ててしまうのではなく
拾おうとしてくださるお星さんに
一層の感謝をした。


せめて、星に願いを

生きることにうんざりしたご様子のお星さん。

私は、お星さんに生きてほしい。
まだ〇なないでほしい。

お星さんにしか救えない人が、大勢いるから。
お星さんに、私が頑張っているのを
見ていてほしいから。
いつも、かっこよくてキラキラしている
素敵なお星さんが
夢を叶えてもっとキラキラになるのを
私が見届けたいから。

でも、それは私のエゴ。
お星さんの人生は、お星さんのもの。
だから、2024年・七夕に私が願いたいことは

私を救ってくれたお星さんのさいごが
「拍手喝采、笑顔でカーテンコール」で
ありますように

最後に

「拍手喝采、笑顔でカーテンコール」は
『シネマ』という曲の歌詞からです。
YOASOBIで知られる、Ayaseさんの歌です。


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