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「助けて!」って言えたら繋がる

エドカフェ No.9「すべての子どもの学習権を保障する学校」(木村泰子さんと対談)をまとめてみた

すべての子どもの<学習権=命>の保障

憲法26条からくる学校の最上位の理念。
これはすべてのパブリックの学校のあたりまえの理念

まずは<Why>

すべての子どもの学習権を保障するのは、税金から給料を保障されている先生たちが、公務員として最低限やらなきゃいけないこと。

「学力も大事!」という声もあるがそれは置いとこう。

学校にさえ来れば、その子にどんな学びが必要かはその子が決める。
でも来なかったら保障できない。
家で・・・知らないところで、ある子が虐待受けたり屋上から飛び降りたりしたら・・・?
それ守れる?学級30人すべての命を1人で守れるという人がいるなら学級担任してもらおう!でも、よ〜く考えて!できる?

次に<How>

じゃあどんな組織つくる?
1人の命だって1人じゃ守れないから、学級担任制をやめて担当にした。困ればいつでも助けを求めてバトンタッチ!
これも学校の教職員だけじゃ無理!
いくら授業うまい、子ども理解できる、スペシャルティーチャーがいてもそれですべての子どもの学習権守れるか?いくら教師が立派だと評価されても一人の子が学校来なかったらアウト!

ひとりじゃできないという自覚が大事!能力ないからじゃない。家で想像を超える苦しみをもっている子を守れるか?教職員だけでできないから地域の人とつながってチームになる。チーム力でなかったら一人の子どもの命も守れない。

今学校現場はWhatに追われてる。これしなきゃあれしなきゃ・・・消毒しなきゃ!学力運動能力上げなきゃ!でも・・・
<Why><How>までみんなが納得すれば<What>は何してもOK!

それは手段?目的?

自死した子をたどったら、校則でストレスかかえた子によるいじめにたどりついた事例がある。
校則がいるか?いらないか?じゃない。その校則がすべての子の学習権を保障するためになってるかが大事。そういうところを対話していかなきゃ手段(校則を守る)が目的になってしまうと本来の目的(学習権の保障)から外れる。

背中をピン!というきまりをつくれば、背中湾曲の子はできない。ひとりでもできないことをみんなやれって括ってしまえば、その子の存在をないことにしてしまう。そういう校則いる?
この子が守れないのはこの子の能力がないからと、合理的配慮という名のもと合理的排除になっているようなことはやり直さねば・・・

手段が目的になってないか?問い直そう!

先生に求められるのはこれだけ!

先生の仕事って今までともう違う。自分ができるできないじゃない。目の前の子どもが安心して学べてるか?
「私無理!」「じゃあ私いく!」っていうチームをつくる。学校全部で無理なら2〜3人のちっちゃなチームから広げていけばいい。
間違っても人のせいにしない。校長がこうだから。あの人があんなこと言うから雰囲気悪い。あの人が自分のクラスだけやってまわり見ないから。とか・・・。
人のせいにしてると子どもも人のせいにする。相手変えたかったら自分が変わる。そうすれば相手は勝手に変わる。

自分を変える覚悟もつだけで学校の先生は花丸!
教員に必要な資質はひとつ。人の力を活用する能力。
なぜなら主語は子どもだから。

先生が評価されるためにやっているんじゃない!
「助けて」を言う勇気をもとう!

学力?学習権?どっちがより大切か問い直そう!

先生の仕事はとにかく学習権の保障!
学習権さえ保障されれば・・・学校で子どもが安心して学べる環境さえ整えば、それぞれの求める学力は子どもが自分でつけていく。

校長のものでも教育委員会のものでも文科省のものでもない学校で、
貧困であろうと、重度の障害があろうと、学力検査の点を下げてしまう子であろうと、すぐ友だちを殴ってしまう子であろうと、すべての子が安心して自分らしく地域の学校で学べる。それがパブリックの学校(みんなの学校とはすべての公教育の学校のこと)そういう学校をつくるために一人の公務員として働く。このビジョンに反対の人?

校長の責任はたったひとつ!
「すべての子どもの学習権を保障する」ことだけ 
仕事は山ほどあっても・・・

質疑応答に答えて

地域を巻き込んでいくときの個人情報について

「個人情報を守る」これは20年前の考え。
今は毎日のように親の虐待がニュースになる時代。
子どもの命を守ることと個人情報を守ることとどっちが大事か?

校則なくすと荒れた時代に戻ると言う教員がいる。子どもを信用しないで人間関係がつながる?
地域もいっしょ。
「個人情報たれ流さないでね」みたいなことを言う必要はさらさらない。「子どもの命守るために自分に何かできるか?」っていう人が学校に入ってくる。それ以外に自分の利益を目的に入ってくる人に対しては校長が「ご遠慮ください」と言えばいい。これが校長の仕事。こっちが信用しないのに相手が信用してくれるはずがない。
そういう覚悟が必要。

映画「みんなの学校」ではみんな顔出ししている。子どもや保護者に確認はした。「いや」という子だけ守ればいい。DVから逃げている子もいた。2人は映りたくないと言った。まわりがこの2人が映らないように全力で守った。
 

どうやって地域住民を巻き込む?

学校で困ってることを発信する。地域の宝は地域の力で育もうと呼びかけ続ける。教職員はやがては吹き去る風。地域住民は土。持続可能な学校を進化継続するために地域の力は絶対必要。どんな不安があっても、ひとつひとつみんなで対話していけば安心して取り組めるようになる。

学校に集まって説明会をするということは一度もしなかった。来た人だけにしか伝わらない。あとは伝言ゲームになる。
発信はすべてスクールレターを地域で回覧。
読んでもらえるように青い紙に書いた。

すべての先生が自分の授業を開いた。みんなが楽しい授業なんて1人でできっこない。「わからん。助けて。」と子どもが言えることが大事。地域の人にどんどん入ってもらう。
ここでベテランほど見られることを意識して「いい授業しなきゃ!」となる。これは先生が主語!あかんあかん!

ここまでいければめっちゃスリムになる。大空小ではうるさいと噂の人は何人もいたけど9年間誰1人文句言ってくる人はいなかった。(精神病んでいる人以外)

GIVE&TAKEでなくWin-Winの関係へ!
「学校のために地域の人来てください」これじゃギブ&テイクでうまくいかない。「やってやってるのに挨拶もない」とか云々・・・になって続かない。
地域の宝を地域のチーム力でつくるという意識で子どもたちに接すれば、そのシャワーを浴びた子は将来あたりまえのように地域のチームに加わる。これが学校・地域両方の成長につながる、Win-Winの関係。

とにかく困ったことをスクールレターで発信すると、来た人が「こりゃあ先生大変や!」ともっとフォロワーを連れてくる。「あの先生あかん」って言う人は誰もいない。先生同士を誰も比較しない。失敗したら「ごめん。やり直す。」って言っている大人に対して誰も文句は言わない。開いて悪いことはない。5時に帰れる。勤務時間以内にできないことは捨てる、と言うと誤解招くかもだけど、チームでやって子どもが納得して帰れば、あとから親から苦情の電話がくることもない。
みんなでやってたらどこにも責任なんて感じない。こんなの1人じゃできない。「自分の指導力がないからこの子がこんなことした」とかじゃない。失敗してもやり直せるのが学校の学び。やり直せれば賞賛される。失敗体験が成功体験に変わる。

今、新しい発想で学校をつくり直すとき。
未来はどんなふうにでもつくれる。

みんなで楽しみませんか?

3、11大川小の悲劇から学ぶ。大切な命を守るには?

大空はあれ以来避難訓練をなくした。大事なのは自分の命を自分で守ることと、となりの人の命を大切にすること。これを特別なイベントでなくて日常的に学んでいるから想定外に生きる力になる。自分で考えて自分で行動。そうすると人のせいにしない。次はこんなふうにやってみようってなる。

10年後に生きる力を!

自分のために自分でつける、4つの力(大空小で常に評価基準に置いた力)

<人を大切にする・自分の考えをもつ・自分を表現する・チャレンジする> 

重度の障害をもつ子も含めてすべての子につけられる力。一人一人違うから先生が評価できない。自分でしか評価できない見えない力。もちろん大人もこの力を意識して主体的対話的深い学びをする。
非認知能力を小さいうちからつけてたら、大人になっても貧困連鎖、教育格差も起こさないという論文もある。

非認知能力(見えない力)つけたら認知能力(見える力)なんて勝手に上がる!うそじゃない!

大空小では全国学力検査の結果にびっくり! なんと、全国一位の学校よりB問題のポイントが上だった。障害もった子が多い、勉強できていない大空小でなんで?信じられない!なんかの間違いや!・・・と、教育委員会に「これ間違ってます!」って言ったら、「業者がやってるから間違えません!」と怒られた。

子どもが安心して「わからん、教えて」って言えたら勉強はわかるようになる。

教師も自分の無力を認めて、「助けて」と言えればチームができる。
大人が悩んだりチャレンジしたりしてる姿を見せるのも大事!




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