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イワンのばか


ジャイさんのおススメで「イワンのばか」という本を読んだ。


どこから来たかと言うと、

「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんが読んだ、

「わら一本の革命」の福岡正信さんが読んだ、

「イワンのばか」(byトルストイ)という流れだ。

(木村秋則さん、福岡正信さんもすごすぎる人だった!)


「イワンのばか」は、昔、童話で読んだことがあるような気もするけど、なにも残ってなかったとは?!

これはすごい!これはすごい本だった!!!

やっぱり読むタイミングってあるんだな。

で、何がすごいって説明するとなると難しいし、見当違いなことになりそうなので、ビビビっと今の私に響いたことをしぼって書いてみよう!


自分を守らない

イワンはなんと言われても、バカだと言われても、「そうか、よしよし。」と言う。

そして、いよいよ戦争をしかけられたとき、イワンの国の人たちはというと・・・ここで「自分を守らない」という言葉がやたらと出てくる。

〇兵隊どもが彼らから穀物や家畜を奪っても、ばかたちはとるにまかせて、だれひとり自分を守ろうとするものがない

〇(兵隊がどんどん進軍してきても)なんでもさっさとさしだして、だれひとり自分を守ろうとするものはなく、かえって彼らに、自分たちのところへ来て暮らすようにと勧める始末。

〇兵隊どもは、どんどん進軍をつづけたが、どこにも軍隊の姿は見えず、国民はみな働いて、自分やほかの人たちを養いながら暮らしており、自分を守ることは少しもせず、ただこちらへ来てお暮しなさいとすすめるばかり。


そして、とうとう戦争にならないとわかると、兵隊たちは村を荒らし、家や穀物を焼き、家畜を殺しはじめる。ところがまた・・・

〇ばかたちはただ泣くばかりで、だれも自分を守ろうとするものはない


そして、兵隊どもはとうとう逃げ散ってしまう。


「自分を守らない」ってすごい!これほど強いことはないな。

気づくと自分を守ることに必死になっているわたし。

自分を守ると外の世界と対立し、自分の狭い世界に閉じこもっちゃう。

自分を守るのをやめて、自分を投げ出せたときの、自分以外の世界との境界線がなくなるような、世界と一体になれる感覚は素晴らしい!


人をあてにしない

この本には、九つのお話が収められていて、その中に「洗礼の子」というお話がある。そこには三つのエピソードが出てきて、それが最後に主人公のエピソードと重なるところがある。

一つ目のエピソードに、「百姓女が汚れた手拭でテーブルをいくら拭いてもきれいにならなかったけど、その手拭をきれいに洗ったらはじめてテーブルがきれいになった。」という話が出てくる。

そして、このエピソードと重なる場面がこちら。(主人公に、全然言うことを聞かなかった追剥が心を許す場面で言うセリフ。)

「~おまえがはじめわしを説いた時には、わしはただよけいに悪くなるばかりだった。わしがおまえの言ったことについて考えだしたのは、おまえが人から隠れて、人の助けなどあてにしなくなったのを知った時だった。~」

私は、このせりふにすごく反応してしまった。

すごく思い当たる。

つい人を批判的に見てしまうとき。

人に説教しようという気がムクムクと出てくるとき。

でもそれをしても相手はますます意固地になったりする。

これって汚れた手拭でテーブルを拭いているようなものだったんだな。きっと。


じゃあその汚れってなんだ?どうしたら汚れは消える?


ここには「人の助けなどあてにしなくなった」とある。


人をあてにする気持ち。人に期待する気持ち。人を自分の都合に合わせてどうこうしようとすること。


誰かにやってもらうのがあたりまえになっていること。

ちゃんと言葉にしてお願いせずに、察してやってくれるだろうと期待してしまうっていること。

この人ならきっとわかってくれるという妄想。

人に認めてもらおうとする気持ち。

そういうものを得ようとして媚び諂うこと。

それはみんな捉われ。


そんな捉われから解放されて、誰もあてにせず、すべて世界に任せていられたら、それはなんと清々しいことか?!

こんな清々しい人の言葉は、真理として響いて、聞く人を素直な気持ちにさせる。



「イワンのばか」を読んでから、この二つの言葉がぐるぐるしている。


私もイワンみたいにバカになって、あっけらかんとしたい!



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