#5「たかが予言、されど予言」
最後の一文が全て。ほんまそうそうそうそう!と首を上下させる。
同時に、その適当な予言に悩まされている人が多い事実。「あなたのため」「お子さんのため」のヴェールを被っていると、なかなか厄介だ。
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かくいう私だって、悪魔の予言に悩まされたひとり。全力を尽くしていたからこそプチッと糸が切れ、頑張るのがアホらしくなった。
学校にもロクに行かず、高校を中退した地元の仲間たちと遊びまくった。彼女たちは学校に縛られず、しっかりと"自分"を持っているように見えたのだ。
まさにコレ。少し違うことをする人間を排除し、足を引っ張ろうとする。"同じ"ことが正義で、個性を出す人間には"異質"のレッテルを貼る。無性に嫌気がさし、全てをぶっ壊してやろうと思ったのだ。完全なる反抗期の到来。ただ、この遊びまくった半年間がなかったら、今の私はいない。
私の変化を見た担任は「ちょっとはっぱをかけるつもりだったのに」と言った。あーあ、落ちるとこまで落ちたな、と哀れみの表情を浮かべて。
その言葉を聞いたとき、心底「アホくさっ」と思った。担任の言葉だからと、真に受けた自分。あーそうか。先生だってただの人間だ。「100%無理」かなんて、分かるわけないではないか。
"予言"に振り回されるなんてアホくさい。ただ、担任から。親から。信頼している上司から言われたとしたら?"真に受けるな"っていうのは少々、酷な話ではなかろうか。
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教員経験を生かし、要望に応じて小学生の子をもつ保護者の教育相談を受けている。最近は担任から「できないところ」を指摘され、支援級を勧められる保護者が少なくない。
まだ、悪魔の予言は続いているのか。子どもの困り感を和らげる手立ての特別支援が、教師の負担を減らす大義名分にされている。
検査をして少しいびつな形が出る?当たり前じゃない?だって、人間はロボットじゃないよ。ちょっとぐらい波があるのは当然ではないのかなぁ。
"先生"に指摘されると、「自分がおかしいのか」「我が子だからと、かいかぶっているのかもしれない」と悩む保護者は多い。
たかが予言、されど予言。悪魔の予言はタチが悪い。
だからこそ、じっくりと丁寧に話を聞き、悪魔の予言から解放していく。子ども自身が笑顔になれる道を一緒に探る。
どうせなら、気持ちがパッと明るくなるような「天使の予言」がいいな。
きっと大丈夫。
きっとうまくいく。
万事オッケー、踏み出すなら今だ!
▼5月14日の午前7時ごろまで読めます。こちらもぜひ♪
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