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#59「"ばかもの"の声」

さとゆみさんの連載「今日もコレカラ」を読み、感じたことを書く。引用リプじゃおさまりきらない、グルグル余韻の言語化トレーニング。

町を変える人、そして歴史を変える人は「よそもの、わかもの、ばかもの」だとよく言われる。円香さんは「よそもの」で、今も五島には住んでいないけれど、円香さんを通じて私たちは五島とつながっている。



「じゃ、また明日!」と颯爽と去っていく彼女の白い腕を見ながら、こんな細い腕で、町をごそっと動かしちゃうんだもんなあと思っていた。たった一人の静かな熱狂が、こうやって歴史を変えていく。

よそもの、わかもの、ばかもの【さとゆみの今日もコレカラ/第249回】


「よそもの、わかもの、ばかもの」

このタイトル、もろに真意を突いているなぁ。

さて、この「ばかもの」はだれ目線だろうか?

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メディアの裏にいる資本に評価されているか・まるで存在しないように扱われているか。

庶民を賢くしようとする人は大体、「頭がおかしい」「きちがい」「危険人物」とされている。だって、無知なほうが動かしやすいから。ドラゴン桜にもあったよね。「自分で考えて、行動しよう」なんて言う人は、とにかく邪魔すぎるんよ。

メディアに評価されている(報道されている)かは、かなりの判断基準になると思う。

数年前から、国に対して「なんかおかしい」と思うことが増えた。言っていることと、やっていることが違うのだ。「中間層の所得を倍にする」しかり。違うどころか、真逆のことをしている。

今まで薄々感じていたことが、色濃くなっていく感じ。もろに、自分たちの生活に関わってきたから。

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一方で、いつも、候補者を見て、えーこの中から選ぶの?と思う。友人と、「"白紙"もひとつの意思表示(だれにも任せたくない)として認めてほしいよね」と語り合ったこともある。

いわゆる政党は、正直なところ入れたくない人ばかり。かといって無所属を選ぶと、数が少なくて「死に票」になってしまうのではないか。

ずーっとジレンマを抱えていた。

でも。

当選しやすいとか、死に票になるとか、そもそも違うよなぁ。

たとえ死に票になったとしても、声をあげることが大切。流れに乗るのではなく、「自分が何をいいと思うか」で判断する。

日本の一揆もフランス革命も、小さな声から始まったのだから。

✳︎

いじめにしても、最も多いのは「傍観者」だ。国の状況も同じではないか。

「どうせ無理」「だれがやっても同じ」

諦めが「傍観」につながり、一部の人間にだけ都合のいい社会が出来上がっている。この先に、子どもたちが笑える世の中はあるのだろうか。

母として、ひとりの人間として。

私は「こんな社会はいやだ」と、小さな声をあげる。


▼7月7日の午前7時ごろまで読めます!こちらもぜひ♪



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