見出し画像

僕は映画鑑賞が苦手だ

映画鑑賞が苦手だ。

最近そう思う。

映画を見初めても、冒頭は物語の状況がよく分からない。まだ頭が見るモードになっていないのか、なんとなくぼんやりと見てしまう。もしくは物思いをしてしまう。

昔からこうだったのだろうか。

そんな気もする。トイストーリー4を見ながら2/3ぐらいの時間は寝てたりした。

もしかして視力やIQが弱まってきたのだろうか、自分の事象把握能力が低いのではないかと心配になってくる。登場人物たちに大きく感情移入することも少ない。心を動かされることは少ない。

1番感情が動かされるのは暴力的なシーンだ。

「自分があんな風に鋭利な刃物で刺されたら、いったいどれだけ痛いんだろう」と恐怖で縮み上がる。たぶん暴力描写への耐性は人よりも低い。人が殴られるシーンでもつい目を伏せてしまう。

うまく映画鑑賞したいと思う。だけれどここには圧倒的な壁がある。それは自分が感情移入できるか否かということだ。

映画を本当の意味で観るということはつまり、

心をどれだけ動かされるかということかと同義だと思う。

物語が自分自身とオーバーラップして「まるで自分が描かれているようだ」と感じるような映画。そんな作品を観るということが本当に映画を観るということなのではないだろうか。

99%の作品にはそんな気持ちは起こらないものだが。

強いていうなら、この世界というものに通底した諸行無常を感じているような、そんな人物描写には共感できることが多い。自分は仏教徒ではないがたぶん仏教的に近い世界観を持っているからだ。

今日は映画「4月になれば彼女は」を見た。

いつも通り冒頭の30分ほどは集中できていなかったが、中盤からは物語も分かり始めてきた。そして特にデートをドタキャンしたり、目の前から疾走した恋人たちに腹が立った。怒りの感情。

自分は映画に心を動かされにくいと思っていたが、これもある意味心を動かされ、主人公に感情移入しているということなのだ。たとえどんなに小さな波紋であっても、何か作品を見て心を動かされる度合いがまったくよ0%ということはない。その揺れ幅に差があるだけだ。

映画鑑賞が苦手だ。

最近そう思う。毎日のように映画館に通うようになってから半年ほど経ったが、ようやく今になってそう思い始める。

もしかしたらダニング・クルーガー効果のように、

自分の鑑賞能力の低さに気づき始めたフェーズなのかもしれない。そもそも今までは鑑賞能力という概念さえ持っていなかった。だが自分の能力の低さを自覚できるようになっただけ、実は成長曲線を少しだけ進んでいるのかも知らない。

今まではどう考えていたか。自分が映画に歩み寄るのではなく、映画の方が自分の心を掴んでほしいし、心が動くかどうかは映画次第であって、自分の責任ではないと思っていた。それも一理ある。

映画の鑑賞方法は自由なので、

どんな見方をしても良い。自分がどちらにするかは自由だ。

で、なんだっけ。そうそう。自分は鑑賞能力というものが低いのではないかということが気になり始めたんだよね。この能力をある部分、磨くことも出来そうだし、結局は心を動かされるかどうかは映画次第だという気もする。

これからどんな風に映画を鑑賞していくか。いきたいか。そんなことを考える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?