君との距離と物語
君とぼくとのあいだには、ある一定の距離がある。君のことを考えていると、夜も眠れない。君と近づきたいけれど、でもこの距離がちょうどいいのかなとも思う。
ふと、「君」という二人称について気になってしまった。普段の会話で、きみ、というと、友達同士でもちょっと距離を感じるし、恋人同士だと、なんだかかしこまってる気もする。会社の上司に「君さ〜!これなんとかならないの〜」と言われるイメージが強い。上から下、ある一点から別の点へのベクトル、自分と相手に距離があるという感覚。ぼくの周りでは、あまり日常的に使わない。
だけど、『君の名は』とあるように、物語には、「君」という二人称がたくさん現れる。
歌詞にもタイトルにも、たくさん使われる。
ぼくの好きなアジカンもそう。『君という花』『君の街まで』といったシングルのタイトルもそうだし、歌詞にもたくさん「君」が出てくる。
日常的に使わないこの「君」が創作物にはよく登場する気がする。なぜ、「君」を使うのか。気になって仕方がない。
そんなことを友人とあれこれ話していると、ある仮説がうまれた。
固有名詞の「みきちゃん」ではなく、「君」という距離感が、物語を一般化し、共感を与え、感情移入できるのではないか、と。
思い出のあのころ、青春の甘酸っぱい感じ、それが、『君』に読者、視聴者、観客のなかにある、誰かを呼び起こすのではないか。
日常的には使わない、『君』が、自分を物語の世界に連れていくのではないか。
「あなた」という二人称はどうだろう。なんとなく、婚姻関係を結んだ女性から男性への呼び方をイメージする。『あなたのことはそれほど』での「あなた」はそういう距離感だった。
「君」ではなかった。
『あなたの名は』『あなたという花』『あなたの街まで』…なんとなく、やわらかくなって、距離感が違う気がする。「君」よりも親密で、近い。
だからと言ってなんだという結論は出ていない。もしかしたら先行研究が山のようにあるかもしれない。
だけど、こうやって考えたり話をしたりしていると、なんだか「君」との距離が近くなった気もして、嬉しい。
君は、なぜ「君」をつかいますか?
あなたは、なぜ「あなた」をつかいますか?
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